「アイツはね。ボールを蹴るのを、いつまでも止めなかったんだ。何本蹴ったのかも分からない。いつまでも、いつまでも、FKを蹴るのを止めなかった。それを見ていたらね、ああ、コイツは本当に、試合に出たいんだって。そう思ったよね」-

 遠くを見つめながら、C大阪の前監督である大熊清さん(現チーム統括部長)は、もう7年も前の出来事を思い出していた。日本代表コーチとして帯同した10年W杯南アフリカ大会。その大会直前のこと。それまで日本を引っ張ってきた中村俊輔(現磐田)が、ポジションを奪われた。突如、代表の先発に定着したのが本田圭佑(現ACミラン)だった。数カ月前にスペインのエスパニョールから横浜へ復帰し、サッカー人生を懸けるほどの思いで臨む最後のW杯だったに違いない。悔しさと、どこにぶつけていいか分からない怒り。練習後もずっとボールを蹴ることで、それらの感情を紛らわそうとしていた。

 「(サッカー界に)天才と呼ばれる選手は何人かいる。でも本当に活躍して、生き延びられるのは、努力ができる選手。努力できる人こそが、本当の天才なんだろうね。俊輔と楢崎が、そんな選手だと思う」

 焼酎をちびちびとやりながら、大熊さんはそう言った。あれから7年の歳月が流れ、38歳になった今でも、中村は輝きを放っている。40歳になった楢崎もまた、不動の守護神としてJ2名古屋のゴールを守り続ける。「努力できる人こそが、本当の天才」-。その言葉に、うそはない。

 ふと思った。7年という時間の長さを。当時、日本代表の先発を奪われた中村は、その屈辱を糧に努力を重ね、今でも衰えを見せまいとしている。対照的に当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで代表の先発を奪った本田は今、衰えを見せつつある。偶然だろうか。7年前に代表での居場所をなくした中村は31歳だった。本田も今年6月に、31歳になる。

 本田圭佑こそ、努力ではい上がってきた選手である。以前、こんな話を聞いたことがある。代表に定着して間もない頃。足が遅いと言われた。足が速くなりたくて、食事の際は常にはだしになり、テーブルの下にタオルを敷いた。足の指でタオルを引き寄せる。その動作を何度も繰り返した。足の指を鍛えれば、走る際に土を蹴る瞬発力が増す。鈍足の選手が、2度のW杯でゴールを決めた背景には、そんな努力の跡がある。

 だが、代表とは特別な場所である。所属クラブで活躍し、日本人で最も活躍する選手が呼ばれるべき場所なのは間違いない。かつてはカズ(現横浜FC)でさえも、98年W杯フランス大会直前に代表から落選している。今の本田が、代表選手としてふさわしいかどうか。疑問符が付くのも不思議ではない。3月16日の日本代表発表で、ハリルホジッチ監督はACミランでほとんど出番のない本田を招集した理由を、このように明かした。

 「まず、本田は我々のトップスコアラー。最も点を取っている。試合に出ていなくても、今の代表は本田を必要としている。彼の存在が大事です」

 もはや説得力があるのか、ないのかすらも分からない。それほど精神的支柱が欲しいのであれば、極端な話だが、本田ではなくカズを呼べばいいという考え方も一部では出るかも知れない。

 本田は18年W杯ロシア大会に照準を合わせている。しかし、彼が次のW杯に招集される保証はどこにもない。中村のように最後のW杯を、辛い思い出で終えて欲しくはない。

 だからこそ、声を大にして伝えたい。これまで、誰よりも努力を重ねてきただろう。しかし、30代になり、衰えつつある今、もっと、もっと努力が必要なのである。彼こそが「努力できる天才」なのだから。


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。プロ野球阪神担当を経て、04年からサッカー担当。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を取材。