熊本に光を-。4月14日、熊本地震から1年を迎えた。だが、いまだ5万人近くが仮設住宅などでの暮らしを強いられている。そんな中、J2ロアッソ熊本の元日本代表FW巻誠一郎(36)は今も地元のために走り続けている。11日にも地震の影響で当分住むことができない「長期避難世帯」指定の南阿蘇村の立野地区を訪れたばかり。「全国にいろんなことをしっかり発信できるよう、苦しんでいる人たちの思いや不便さとか細かい声も聞いておきたかった」と、消防団関係者らに現状を聞いて回った。

 それだけではない。7日には熊本・甲佐町立乙女小学校の体育館で子供たちに笑顔を届けた。児童約60人が目を輝かせてボールを追い、巻は入学式の机や椅子を並べるなど作業を手伝った。「自分が触れ合うことで地震の怖さが和らげばいいと思うんです。1、2回交流した子は後も気になる。笑顔が忘れられないんです」。その笑顔を復興へのモチベーションにしてきた。

 巻と同小の交流が始まったのは震災から約半年後の昨年10月20日。地震による心的外傷後ストレス障害を抱える児童を持つ母親からもらったメッセージがきっかけ。友人2人とサッカーボールや児童121人らに配る日本代表のユニホーム140枚を持ち駆けつけた。校舎に亀裂が入り、校庭は地盤沈下したため、甲佐中を借りて授業を受けていた。

 この時は教室での会話だけだったが、昨年11月、そして今月7日と2度のサッカー交流につながった。巻自身、小4、小2、5歳と3人の男の子の父でもある。「僕らは子供に夢を与えられる存在。熊本の未来をつくるのは子供たちなんです。楽しかった思い出で未来を生きてくれたら」と今後も交流は続けていく。

 地震直後から約3カ月、約300の避難所に毎日支援物資を届けるなど奔走してきた。「(避難所は)狭くて必要な物しか置けないんですけど、おじいちゃんやおばあちゃんが僕のサインや熊本のユニホームをずっと飾ってくれていたんです」。「あそこの飲食店がとか、どこそこの長男の息子があんたの同級生たいとか、世間話をするだけでもすごく感激してくれる。僕だから、熊本の人間だからできることだと思うんです」と、1時間話し込むこともあったという。その後も月に1回、個人的に小学校などを回り、サッカーで交流している。

 パワフルな活動ぶりだ。それでも巻いわく「自分の本業もあり遠くて行きづらい地域があった。行けなかった地域が結構あったので、それが心残り」。だが行った先では「もう他人じゃなく、親戚感覚になるんです。困った人をなんとかしたい、助けたいんです」と親身に接してきた。クラブの池谷友良社長(54)は「巻は地元愛が強く、そういう意味で熊本の象徴的選手」と話す。愛する地元のためにがむしゃらだった。

 チームは地震後、熊本を離れてトレーニングする選択肢もあったが、選手は困難を承知で熊本で戦い続ける道を選んだ。「熊本出身の選手は他の選手と違うレベルの感情を持っている。それに周りの選手も突き動かされたところがある。彼らが熱い同じ意識を持ってくれたことに感謝している」と池谷社長。復興への強い絆でシーズンを乗りきった。

 クラブは地震の影響で全体練習は約半月休止し、リーグ戦は5試合が中止・延期になった。延期された試合が組み込まれた連戦の過密日程の影響もあり、池谷社長は一時「ズルズル行くと思った」と危機感を感じたが「熊本の元気のためあきらめない思いがあったからこそ踏みとどまれた」と振り返る。巻は「元気を出してもらいに避難所などに行ったが勝てなくてすみませんと言うと、今度は僕らが支えるよと言ってくれる人もいた」と、逆に励ましを受けることもあった。「チームが苦しいときやきつい時は逆に皆さんの話を聞いて勇気をもらい頑張ろうと思って帰っていた」と力がわいた。

 今季第7節を終えた時点で、リーグ戦はJ3への降格がちらつく20位と低迷する。それでも「スタジアムに来た人を笑顔にして、明日も頑張ろうと思って帰ってもらうのが一番」。子供らファンの笑顔を浮上の糧にする。【菊川光一】