日本代表が18年W杯ロシア大会アジア最終予選を突破し、世界一を決める舞台の切符をつかんだ。初戦でUAEに敗れるなど、近年では最もアジアで苦戦した最終予選。お隣、韓国は日本以上にもがいていた。苦しんだとはいえ、日本は1試合を残して出場を確定させたが、韓国は最終節のウズベキスタン戦まで持ち越し。その試合も0-0で引き分け、他会場の結果でW杯切符が舞い込む、薄氷を踏む思いの突破だった。

 この逆風に立ち向かっていた男が、FC東京のDFチャン・ヒョンス(張賢秀=25)だ。韓国の大学を卒業後、12年2月にFC東京でプロに。14年に中国1部の広州富力へ移籍し、16年にはリオデジャネイロ五輪に韓国代表のオーバーエージ枠で出場した。主将を務め、日本を上回る8強に進出している。さらにA代表でも定位置を確保。今年7月のJリーグ復帰を挟み、W杯最終予選のピッチに立ち続けた。

 日本ではDF吉田麻也(サウサンプトン)が唯一、最終予選の全10試合にフル出場してMVP級の活躍を見せたが、韓国でいえばチャン・ヒョンスだ。初戦の中国戦から9試合連続でフル出場。最終ウズベキスタン戦の前半43分に接触プレーで負傷退場したものの、けがさえなければ全試合フルタイム出場間違いなしの鉄人ぶりだった。

 それだけに感慨深い。W杯出場を決めて東京・小平グラウンドに戻ると「この1年、本当にしんどかった…」と打ち明けた。苦悩は深かった。「最後にケガしてしまったけど、それ以外は試合のほとんどに出続けて、国を背負って戦った。うまくいかない時は(サポーターに)怒鳴られ、自分にも失望し、ものすごいストレスがあった。だから突破が決まった瞬間、思いがこみ上げて自然と涙がこぼれていました。1年間の困難が、あの涙で洗い流されました」と明かした。

 日本代表も、アジアで勝てなければ大きく批判される。「出場確率0%」の船出から逆境、重圧と戦ってきた。日本と「盟主」の座を争う韓国も同様だったという。チャン・ヒョンスは「日本で話したことも韓国で記事になるので、慎重に話さないといけないのですが」と笑いつつ「例えば、韓国代表は欧州組ばかりなのに、なぜ国内情勢が不安定で(選手が)海外挑戦できないシリアなどの国を相手に苦戦するんだ、とバッシングを浴びて。それが重圧、呪縛になっていました」と振り返る。

 6月にはA組最下位のカタールに敗れ、ウリ・シュティーリケ監督が解任された。その後、リオ五輪代表を率いたシン・テヨン(申台龍)氏が監督に昇格。辛くも予選突破したものの、今度はクラブで悲劇が起きた。自身が不在の9月3日、FC東京はルヴァン杯の準々決勝で川崎フロンターレと対戦。2戦合計1-7で惨敗した。最終予選の負傷が長引いて欠場した9日のリーグ・セレッソ大阪戦も1-4で敗れ、自身の獲得を熱望してくれた篠田善之監督がチームを去ることになった。

 代表でもクラブでも監督解任を味わった男は「韓国代表もFC東京も、行動を起こした。変わったことで結果を求められるし、何より選手が変わらなければいけない」と言葉に決意を込める。韓国は10月に欧州へ遠征し、ロシア、チュニジアと対戦。日本と同じく14年のW杯ブラジル大会で1分け2敗に終わった借りを返すための、貴重な強化の場になる。クラブでは残り8試合のリーグ戦に集中。はい上がるしかない両チームで、25歳の韓国人はさらに成長するはずだ。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て13年11月からスポーツ部(現在は東京五輪パラリンピック・スポーツ部)。文化社会部時代は音楽担当として安室奈美恵らを取材。東北総局ではモンテディオ山形とベガルタ仙台、昨年までは鹿島アントラーズとリオデジャネイロ五輪代表、今季からFC東京を担当する。