U-17(17歳以下)W杯インド大会が6日に開幕しました。エース久保建英(16=東京ユース)擁する日本代表が最初に向かったのは、アッサムティーで有名な東北地方のアッサム州。コルカタから国内線に乗って約1時間半、バングラデシュ上空を越えていく田舎町です。車道は人に加え、犬、ヤギ、牛、たまにゾウが思うままに横断します。ただでさえごった返している自動車はよけながら走るから、急ブレーキとクラクションの嵐。信号もなく、1度乗っていたタクシーが後方から他の車に追突されました。2000ルピー(約4000円)の罰金で示談が成立した様子。4000円で車が直せるとは思えませんが…。なにはともあれ、人はみな明るく、活気ある街です。

 インドで最も人気があるスポーツはクリケット。これまたクリケット人気が高いオーストラリアとの代表戦が大会中に開催され、選手ホテル前でファンが朝も夜も選手の出待ちをしていました。サッカーはというと、東北地方ではクリケットに劣らず盛んだといいます。インドがイギリスの植民地だった時代、当時の首都だった東部のコルカタにイギリスからサッカーが伝わり、北部のグワハティでも流行したと地元紙の記者は話します。現在も、東北地方出身者が多くインド代表に選出されています。

 アッサム古来の暮らしを続ける人々と接する機会がありました。ホテルがある市街地から車で約2時間、舗装のない道で大揺れとスリップを繰り返しながら深い森を抜け、着いたのは湖。この先は水漏れする小舟しか交通手段はありません。約100メートル渡った先に、20軒ほどのわら屋根の家が静かにたたずんでいました。テレビもインターネットもガスもなし。人々は湖で魚をとり、泥をかためた釜と薪で米を炊き、大きな木の葉に広げて食べます。楽しみは、竹で作った楽器をたたいて歌をうたうことでした。

 5歳の男の子がいました。帰り際、アッサム語で「いいもの見せてあげる」と話しかけられました。彼の部屋までついていくと、「外で待ってて」と。そのとおりにしていると、彼が持ち出してきたのはぼろぼろのフットサルボールでした。自然に由来しないものはなにもない場所だったこともあり、驚きました。はだしで「いちばんうまい選手になるんだ!」と、雑草と木々の中でボールを蹴っては追いかけていました。完全に外界から離れた生活をしているのだと思っていましたが、サッカーというスポーツの懐の深さを垣間見た気がしました。

 U-17インド代表は今大会を1次リーグ3連敗で終えました。地元の新聞ではこれまでの強化方針の是非や、出場した選手の多くが来季からインドのプロリーグでプレーすることなどが盛んに報じられています。試行錯誤はあるでしょうが、なにより大切な選手の芽が、この国には無数に出ています。発掘され成熟すればきっと、将来アジアの強国になる。いつかA代表のW杯を開催して勝ち進むような国になるのだろうと、幼い男の子の背中を見て感じました。【岡崎悠利】

 ◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材し、現在はサッカーで主に浦和、柏、東京V、アンダー世代を担当。