9月7日。森保ジャパンの初陣、チリ戦の会場だった札幌ドームは静まり返っていた。試合後にススキノの街にあふれていたであろうサポーターたちもいない。W杯ロシア大会から平均年齢が約3歳若返った新生日本代表が、スペインの名門バルセロナのMFビダルらを擁する南米の雄と、どのような戦いを繰り広げるのか。非常に興味深かった対戦が、中止に追い込まれた。

6日未明、最大震度7を記録する北海道胆振東部地震が発生した。震源地近くにあった道内最大の火力発電所である苫東厚真火力発電所が被害を受けて停止し、北海道全土が停電。道内は混乱に陥った。3日から代表取材のために道内に入っていた私は、地震前後での街の変貌ぶりを身をもって体感した。6日夕方に試合の中止が決定。街には救急車などのサイレンが鳴り響き、いつ電気が通るのかの見通しも立たない。空港も閉鎖され、電車やバスも動いていない状況で、その決定は受け入れざるを得なかった。

当然ながら、7日の試合に向けて北海道入りしていた日本代表、チリ代表、そして試合を心待ちにしていたサポーターらも被害を受けた。練習場所の変更や、電気、水道が断たれた中での長時間の待機など、肉体、精神的疲労は察するにあまりある。チリ代表が宿泊していたホテルも停電し、日中でも館内は薄暗く、外の方が明るいぐらいだった。部屋では暇を持て余しているのか、数人の選手らは1階のロビーで固まって話をしていた。

異国の地で、まさかの被災。チリ代表スタッフらは困った表情を浮かべ、明るいうちは外に出てパソコンとにらめっこしていた。しかし、インターネットが通じないのか、1人のスタッフが同じくパソコンとにらめっこしていた私に近づいてきて「Wi-Fiを使わせてくれないか」と言ってきた。私もポケットWi-Fiがつながりにくくなり、スマートフォンのテザリングでなんとかインターネットがつながった段階だった。それでも情報が手に入らず“お手上げ”といった姿をみせるチリ代表スタッフがみていられず、一緒にスペイン語のPC画面とにらめっこしながらなんとかインターネット接続を試みた。

スペイン語が読めなかったので理由はわからないが、結果として私のスマートフォンではインターネットをつなぐことができなかった。「君の携帯はちゃんとネットとつながっているのか?もう1回パスワードを教えてくれ」と、どうしてもインターネット接続が諦めきれない様子のスタッフの熱意に押され、その後、何度も試みたが、無念。「いつもは簡単なんだけど、今日は特別なんだ。力になれず申し訳ない」とわびると「わかってるよ。しょうがないさ」と寂しげに去っていったスタッフの姿がつらかった。

インターネット難民状態だったのはスタッフだけではなく、選手も同じ。6日夕方にチリの選手らがススキノ周辺を散歩した際には、ある選手が休業中のコンビニのガラスに張られたフリーWi-Fiスポット(もちろん使用不可)のステッカーを発見して隊列から外れるなど、チーム全体としてインターネットを欲していた。

14年9月のウルグアイ戦以来、4年ぶりの北海道での代表戦となるはずだった。震災取材に切り替えて、札幌の街を歩いていると、停電したススキノで日本代表のユニホームを着て、落ち込んだ表情でキャリーケースを引くサポーターを何人か見かけた。地震による地盤沈下の被害の大きかった札幌市清田区の住宅街でも、サムライブルーのユニホームやタオルを身につけながら、家から荷物を運ぶ人がいた。あるサポーターの男性は「北海道を元気づけられるのであれば、少しでもやれる可能性があるのであればやってほしい。でも、無理だよね」とこぼしていた。

大規模な山崩れや地盤沈下など、元の姿への復興にはまだまだ時間はかかる。それでも19日に苫東厚真火力発電所の1号機が再稼働し、街に本格的に光が戻った。これから05年に廃止された3号機を除いた、2号機と4号機の復旧も急いでいくという。

森保監督が今回の被災経験を経て述べた。「試合はできなかったけど、人として試合以上のものを学べた」。今回はかなわなかったが、またいつか、北海道の地で代表戦が行われることを心待ちにしている。【松尾幸之介】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆松尾幸之介(まつお・こうのすけ) 1992年(平4)5月14日、大分県大分市生まれ。中学、高校はサッカー部。中学時は陸上部の活動も行い、全国都道府県対抗男子駅伝競走大会やジュニアオリンピックなどに出場。趣味は温泉めぐり。