「審判批判」という言葉だけを耳にすれば、刺激的な香りがする。ただ、そこにはいろいろな意味合いが集まっている。

時には、テニスの全米オープン女子決勝でセリーナ・ウィリアムズが主審に暴言を吐いたように、感情的にしか見えない攻撃的な行動がある。

時には、その競技を憂い、良くなればと願う建設的な提言も、批判としてくくられることがある。

幼い子どものように、「審判批判」という言葉だけを1人歩きさせたくはない。

前置きが長くなったのは、日本ではまだまだ、審判への批判が「タブー」と見られることが多いから。だが、あえて触れなければいけない時期に来ている。主審の判定について、批判的な対象として話題になることが多い今年のJリーグを見ていると。残念ながら。


Jリーグでは昨季から、判定に疑問がある場合は試合後に、マッチコミッショナーと審判アセッサー(審判を評価する人)、クラブの強化担当者を交えて、試合映像を見ながら意見交換を行うシステムを導入した。それまでの紙による「意見書の提出」から、対面式に変わった。そこでは「誤審」と認める判定が出ることもあるという。だが、それが公になることは、ほとんどない。周囲の批判に対する「答え」が外には出ないから、不信感が募る。

10月7日に行われた鹿島アントラーズ対川崎フロンターレ戦。この試合でも、判定にいくつも疑義が生まれた。

ちまたで最も話題になったのは、後半11分の鹿島MF遠藤康が放ったボレーシュートが、ペナルティーエリア内で川崎FのDF谷口彰悟の手をはじいた場面。PKか、そうでないか-。結果は、流された。

ただ、この判断は非常に微妙だった。谷口は故意に手を広げていたわけではなく、体の前に置いていた手に、ボールが当たった格好だった。しかし、当たらなければ枠を捕らえていたのも事実。主審に判断を委ねられる場面で、どちらに転がってもおかしくない。ならば、例えビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)があったとしても、判定は変わらないだろう。1つだけ言えることは、世界の名だたるディフェンダーは、ペナルティーエリア内では手を後ろに置く。この場面だけを切り取れば、決して良い守り方でなかったことは間違いない。

この試合、それ以外のプレーの方が、疑問符がつく場面が多かった。例えば前半28分。ボールを奪った鹿島MFレオ・シルバが、川崎FのMF阿部浩之に後ろから足を蹴られた。反射的に振り返り、そのまま来た阿部を腕で押しのけた。

主審は「けんか両成敗」であるかのごとく、両者に警告を出した。しかし、この場面。阿部の蹴りはボールには向かっておらず「暴力行為」とも見て取れる。下手をすれば1発退場でもおかしくはなかった。その行為を受けたレオ・シルバが反射的に振り返って押しのけたことと、同列にすべきだったろうか。

関係者によれば試合後の意見交換会では、カードの色はともかく「同列」であったことは誤りだったと、認められたという。しかし、これは残念ながら公に発表された見解ではない。ほかにも多くのプレーに対する意見が交わされたが、表に出ることは今のところ、ない。

首位と3位による優勝争いを占う対決。手に汗握る攻防になることは、戦前から予想されていた。その試合前に「この試合は荒れるかもしれない」と選手に言われた主審は、笑って聞き流していたという。

で、実際に出された警告は両チーム合わせて7枚。後半ロスタイムには退場者も出た。懸念は当たり、試合はコントロールされることなく、荒れてしまった。その中で両チームの選手が死力を尽くし合ったことが、せめてもの救いだった。


直近の試合から少し疑問をあげつらったが、判定が「誤りではないか」と問題になること自体は仕方がない。審判も人間だから。W杯という、審判も高いレベルにある大会ですら「誤審」や「微妙な判定」はある。いわんや、Jリーグをや…。そこは技術向上を促すほかないが、問題点は違うところにもある。批判も声も受け付けない風土。半ば“密室”なことにあるのではないか。

鹿島DF内田篤人の「提言」は大きく考えさせられる。今季8年半ぶりにドイツ・ブンデスリーガから古巣に復帰してプレーするJリーグで、幾度となく違和感を覚えていたという。「勝ったときに言わないと。審判のことについては。負けたときに言うのは良くないから」と、9月の天皇杯・広島戦に勝った後で、こう口にした。

「ブンデスでは、審判がミスったらめちゃめちゃ批判される。(会場で)映像が出るし。そのぐらいやらなきゃダメだと思うよ、日本も。やっているこっちがイライラしているということは、見ている方はもっとストレスがあるからね。別に(自分が)怒られてもいい。(黙っていて)それで審判のレベルが上がらない方が嫌だもん」。

失敗すれば批判にさらされるブンデスリーガの主審だが、内田は「よく見ている」と言い、何よりも「一生懸命、話を聞いてくれる」と語る。決してペラペラではないドイツ語で懸命に話す内田の言葉に、耳を傾けてくれるという。だからと言って、判定が簡単に覆るわけではない。もちろん。

だが、選手と審判は敵同士ではない。互いにコミュニケーションを取り合い、同じ方向を向けば、試合が壊れることは少なくなる。少しでもお互いが分かれば「苦笑い」で済むことが増え、「怒り」に変わることも減る。それが人間だ。

昨年のJリーグで、鹿島の選手がハーフタイムに主審に歩み寄って、疑問を投げかけたことがあった。感情的な態度にならないように試合中ではなく、あえてハーフタイムに話しかけた。「熱くなって品のない態度で言うのとは違って、真剣に落ち着いて話している。(審判は)敵じゃないので、お互いが良くなるために一緒に話していくことも必要なのではないかと思う」。だが、主審は全く対話することなく、控室へ引き揚げていった。互いにフェアプレーを求め合うことに、変わりはないのに。毅然(きぜん)とすることと、高圧的に振る舞うことは、同義ではない。

審判と選手が会話することを、良しとしない人もいるかもしれない。感情を通わせれば、判定に影響すると思うのだろう。

そう思う人は、崇高な職務を行う審判への侮辱であり、そうなりたくないと意固地になる審判その人は、自らの自信のなさの表れに映る。駄目なものはダメ、良いものはいい-。確固たる信念があれば、そうできるはずだ。


札幌ペトロビッチ監督の言葉が印象に残っている。今年3月にカシマスタジアムで行われた鹿島戦で、札幌MF三好康児のシュートがペナルティーエリア内で鹿島DF昌子源の手に当たったみられたが、判定は覆らず、かえって抗議した三好が警告を受けた。試合後の会見で、監督自ら語り出した。

「日本に来て13シーズン目。こういうゲームの中でなかなかこういう質問が来ないのはわかっているが…三好のシュートは相手の手に当たっていた」。

審判批判かと思われたが、次の言葉で打ち消された。

「試合後、レフェリーとあいさつした時に『あれはハンドでした。誤審でした』とはっきりと認めてくれた」。

ペトロビッチ監督の言葉は、決して勝ち誇った物言いではなかった。純粋に喜んでいた。彼が言いたかったことは、こうだった。

「人間はミスをする。これまでレフェリーのミスはないものとする風潮があったが、日本でやってきて、認めてくれたのは初めて。うれしかった。それ(ミス)を認めるか、認めないかは大きな違いがある」。


批判には、中身が伴わないものもある。ひいきのチームのこととなれば、目が曇りがちなことだってある。批判する側も、1歩だけ立ち止まって冷静に判断する必要はある。

とはいえ、健全な批判にさらされてこそ、審判も成長し、選手もたくましくなる。それがなければ、サポーターも離れていく。物事は、しゃくし定規にやっていれば丸く収まるわけではない。

全ては、Jリーグのレベルアップにつながるために。内田は川崎F戦の後、日本の審判問題について自嘲気味に「あきらめるか?」と苦笑いを浮かべた。外国人監督も含めて、彼らからの言葉にどう返すのか。彼らが批判をあきらめてしまったときは、本当の終わりを意味する。そんな気がしてならない。【今村健人】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)


◆今村健人(いまむら・けんと) 1977年(昭52)生まれ。サッカー少年時代、セルジオ越後氏に股抜きされた後、オウンゴールをさせられた。五輪や大相撲も担当。