J2京都サンガFCに“橘カルテット”がそろった。11日、京都の来季の新戦力として関学大MF中野克哉(4年)の加入が発表された。京都橘高出身のレフティー。スピードあるドリブルで局面を打開し、得点力は抜群だ。

既に京都には、12年度全国高校選手権でダブル得点王を獲得し準優勝に導いた京都橘高出身の仙頭啓矢、小屋松知哉がいる。中野にとって仙頭が2学年上、小屋松は1学年上。当時、中野は1年生ながら主力として活躍し全国の舞台でゴールも決めた。

そして、中野にとって2学年下の岩崎悠人も京都に在籍。中野は唯一、偉大な先輩とも頼もしい後輩ともプレー経験がある。全国選手権には3大会連続出場し1年で準優勝、2年で4強、3年では8強。京都橘高の黄金世代を築いた1人だ。

14年の年末、当時入社1年目でサッカー担当になったばかりだった私は高校サッカーも担当した。全国選手権で主に近畿の高校を担当し、もちろん注目度の高かった京都橘も受け持った。

その時、3年でエースの10番を背負っていたのが中野。初戦の第一学院(茨城)戦では決勝弾を決めた。負傷に苦しみながらも、8強に進出。準々決勝では強豪の前橋育英(群馬)との対戦が決まった。

中野にとって前橋育英は因縁の相手だった。自身は3年時の全国総体の初戦で0-4と大敗。さらに6歳上の兄晃さんも07年度に奈良育英高で出場した選手権で前橋育英に敗れた。京都橘にとっても選手権初出場の08年度、大会初戦で負けたのが前橋育英だった。3つのリベンジを誓って臨んだ一戦。岩崎と2トップを組んだが、結果は0-4の大敗だった。

試合後、取材が終わった後も中野はその場を離れなかった。次の試合が行われていたフクアリのピッチをながめながら「終わっちゃったんやなあ」とつぶやいた。試合後、取材エリアで涙を見せなかった中野だったが「今、これ(試合を)見てたらちょっと泣きそう」とこらえていた。

エースとしての責任。3大会連続で出場しても優勝を成し遂げられなかった責任を1人で背負った。ピッチに対する思い、悔しさが中野の足に重くのしかかっていた。私も、現実を受け入れようと戦う中野に「終わりちゃうよ、始まりやよ」と声を掛けるのが精いっぱいだった。

あれから約4年。関学大で昨季は関西学生リーグ得点王を獲得し、今季は10番をつけている。そしてこの日、プロ入り内定が発表された。

さらにプロとしてのスタートラインに立ったこの日、くしくも兄晃さんに第1子が誕生した。中野は叔父になった。ふと、あの日のフクアリでの後ろ姿を思い出して胸が熱くなった。踏み出した夢への第1歩。中野にとって輝かしい未来になるよう願っている。【小杉舞】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)


◆中野克哉(なかの・かつや)1996年(平8)9月13日、奈良市生まれ。鳥見サッカー少年団、YF奈良テソロ、京都橘高を経て関学大に入学。全国高校選手権では13、14年度選手権大会優秀選手。日本高校選抜や、関西学生選抜を経験。168センチ、61キロ。


◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を卒業し、14年に大阪本社に入社。1年目の同11月から西日本サッカー担当。担当クラブはG大阪や神戸、広島、名古屋、J2京都など。中野兄弟と同じ奈良・富雄中出身。