日本サッカー協会が27日、年内の業務を終えた。今年の男子サッカーで唯一の世界大会がリオデジャネイロ五輪。手倉森誠監督(49)率いる日本は48年ぶりのメダルを狙ったが、エースFW久保裕也(23=ヤングボーイズ)の招集を開幕2日前に断念。8月4日の初戦ナイジェリア戦に4-5で敗れ、1次リーグで散った。無念の敗退から4カ月。「幻の可変システム」があったことを指揮官が初告白した。

 8月11日未明、ブラジル・サンパウロ。手倉森監督は、秋葉コーチをホテル自室に招いていた。敗退したチームの帰国を見送った後、缶ビールを片手に、3戦で終わった世界舞台を振り返った。自然と焦点は、初戦ナイジェリア戦に絞られていく。開幕49時間前にエース久保の招集を諦めていた。

 もし、裕也がいれば-。

 すべてが終わり本音が出た。「あれ、やりたかったな」。勝負に「たられば」は禁物だが、秋葉コーチに同意を求めたのは可変システムのことだ。試合の中で陣形を変え、敵を幻惑する。その軸が万能型の久保だった。

 最も重視した初戦。アジア最終予選で優勝したシステム4-4-2ではなく、4-3-3で挑んで主導権を握られた。スコアこそ4-5だが、一時は3点差をつけられ「3ボランチで入った批判もされた」。足りなかったのは久保だった。招集できていれば「オーバーエージ(OA)枠の興梠が1トップ、久保が右ウイング、矢島がインサイドハーフ。途中からサイドもできる矢島を右に上げて、久保を2トップやトップ下に。試合の中で動かし続ける」プランだった。

 お蔵入りとなって敗れたが、組み合わせが決まった4月から温め、久保には5月のトゥーロン国際で伝えていた。「楽しみです」。うれしそうな顔だった。そこにOA選手が加われば、流動性は増す。興梠だけでなく「もし大久保嘉人なら右かトップ下、本田圭佑なら右か1トップに置いた。清武弘嗣ならインサイドハーフもトップ下も右もできる」。候補の実名を挙げながら「誰が来ても久保と合っていたはず」と続けた。

 交代カードを切ることなく相手を惑わし、浅野らの投入効果を増幅させる。描いた夢は、久保の涙の欠場とともに消えた。合流を信じて17人で活動していた間に、負担の増えた矢島は体調を崩し、ナイジェリア戦に先発できなかった。「1つマネジメントが狂うと厳しくなる。リスクに備えて次の手を考えていても」。初戦を落とした日本は1次リーグでリオから去った。

 「あの初戦で披露できればジャパン・マジックだった」。幻惑するはずが、幻に終わった戦略。「言い訳になる」と公にしてこなかったが、明かしたのは「今のA代表なら使いこなせる」と思ったからだ。五輪3カ月後。久保は11月のW杯最終予選サウジアラビア戦で、あの本田から先発の座を奪って能力を証明した。夢の続きはロシア-。コーチとして、リオの教訓を日本に還元する。【木下淳】

<リオ五輪サッカVTR(男子1次リーグB組)>

 ◆第1戦(現地8月4日、マナウス)4-5ナイジェリア

 トラブルで試合開始6時間半前に会場入りした相手に敗れた。開始12分間で2-2(興梠=PK、南野)の打ち合い。ミスが相次ぎ、エテボに計4得点されるなど一時2-5とされた。浅野と鈴木のゴールで迫ったが、黒星発進。4得点は日本の五輪史上最多、5失点はワーストタイ。

 ◆第2戦(現地同7日、マナウス)2-2コロンビア

 システムを4-4-2に戻して前半は主導権を握ったが、後半14分に失点。同20分には藤春がオウンゴールを献上した。浅野、中島のミドル弾で追いつき最終戦に突破の可能性を残した。

 ◆第3戦(現地同10日、サルバドル)1-0スウェーデン

 勝つしかない日本は後半20分に矢島が先制ゴール。欧州王者を相手に1点を守り切り、大会初勝利を挙げた。しかし、B組3位で敗退。