プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月10日付紙面を振り返ります。2012年の1面(東京版)は、日本代表FW大黒将志の劇的ゴールでした。

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<W杯アジア最終予選:日本2-1北朝鮮>◇2005年2月9日◇埼玉

 「ジーコジャパン」の新星が、土壇場で決めた! 9日、W杯ドイツ大会アジア最終予選初戦で日本代表は12年ぶりに北朝鮮と対戦。引き分け目前の後半ロスタイム、ジーコ監督(51)が3人目の切り札として途中出場させたFW大黒将志(24=G大阪)が劇的にゴールを決め2-1で白星発進した。ゴール前のこぼれ球からのチャンスを見逃さず、左足で豪快にたたき込んだ。試合前にはベンチ入りすら微妙な状況だった18番目の男が、最後の最後で代表初ゴールを決め日本を救った。

 夢中だった。それでも、背中にはゴールを感じていた。初めて経験する大舞台で、ストライカーの嗅覚(きゅうかく)を見せつけた。時計の針は後半45分を回っていた。引き分け目前。小笠原の右からのクロスを相手GKがパンチング。こぼれ球を福西が右足で前方の大黒に出した。ゴールを背にしてクルッと反転すると、ダイレクトで左足を振り抜いた。ボールが北朝鮮のゴールネットを揺らす。窮地が、一瞬にして歓喜に変わった。

 「後ろにゴールがあるのは分かっていた。ターンしたら、すぐに打とうと思っていた。シュートは絶対に打とう、それだけしか考えていませんでした」と大黒は声をはずませた。最高の気分だった。試合終了の笛が響くと、中沢、三都主らと抱き合った。その後、ロッカールームへと引き揚げる選手を横目に1人、サポーターに歩み寄った。スタジアムに「オオグロ! オオグロ!」の絶叫が響く。1月29日の親善試合カザフスタン戦で代表デビュー。むろん、W杯をかけた大舞台は初めての経験だ。日本に突如出現した新星にサポーターも酔いしれた。

 「18番目」の男だった。昨年の日本人得点王だが、1カ月前までは代表とは無縁。ベンチ入りすら確約されてはいなかった。本人も「(ベンチ入りは)微妙だなと思っていた」と本音を漏らしたほど。ベンチ入りを聞いたのは試合直前のロッカールームだった。ジーコ監督から「合宿を通じて彼の良さが出ていた。常にゴールへの意識が高かった」と信頼を得ての登録だった。1−1の同点の後半34分に高原、中村の海外組に次ぐ3人目の切り札としてピッチに送り出していた。

 「背番号31」が力をくれた。カザフスタン戦前、関係者に背番号を伝え聞くと、思わず笑みを漏らした。「あれっ、掛布(元阪神)の番号やん」。生まれも、育ちも大阪の生粋の関西人。子供のころから阪神が大好きで、小学生の時にはサイン欲しさに掛布の自宅まで押しかけたこともある。しかし、1月の宮崎合宿から代表に緊急招集されたため、レプリカユニホームの製造が間に合わずに、スタジアムのグッズショップに「背番号31」のユニホームは出現しなかった。それほど代表とは縁の遠い存在だった。

 記念すべきゴールは、自分のために贈った。報道陣から「(みわ夫人に)電話はしましたか?」と問われると「ボクは自分が好きでサッカーをやっているんです。嫁のためにゴールを決めたいと思ったことはないんですよ。嫁はちょっとは『私のためにゴールを決めると言えよ』と思っていると思いますけどね」と笑った。3大会連続のW杯出場をかけた大事な初戦。引き分けすら許されない戦いで、執念のゴールが日本を救った。

 ◆大黒将志(おおぐろ・まさし)1980年(昭55)5月4日、大阪府生まれ。G大阪ジュニア、ジュニアユース、ユースから99年にトップ昇格。01年札幌に期限付き移籍。02年G大阪復帰し翌年から先発定着。昨季リーグ2位の20得点で日本人得点王。J通算84試合32得点。代表は1月の宮崎合宿から久保(横浜)の代役で初招集された。同29日カザフスタン戦で初出場。178センチ、73キロ。

※記録と表記は当時のもの