プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月17日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)は、国際試合最速となるハットトリック記録を樹立した日本代表FW中山雅史の活躍を伝えるものでした。

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<アジア杯予選:日本9-0ブルネイ>◇2月16日◇マカオ

 FW中山雅史(32=磐田)が「世界最速記録」を樹立した。予選2試合目、ブルネイ戦の試合開始から3分15秒でハットトリックを達成。国際試合記録としてギネスブックに公認されている1938年にイングランド代表ジョージ・ホールがマークした3分30秒を15秒更新した。中山の代表生き残りをアピールする先制攻撃をきっかけに日本は9-0で連勝し、本大会出場に王手をかけた。最終マカオ戦は20日(日本時間午後7時30分開始)に行われる。

 ホイッスルとともにゴールショーが始まった。中山だ。46秒。小野のスルーパスに合わせてカズが飛び出した。GKの手足がカズの足にかかる。PKと思われたが、ボールは左横にいた中山の前に。後は無人のゴールに流し込むだけだった。チャンスは1分53秒にも訪れた。左に開いたカズがシュート。GKがはじいたボールに反応した。締めくくりは3分15秒。小野のヘッドでのパスを胸で受け、2人のDFを引きずりながら左足を振り抜いた。

 相手は国際サッカー連盟(FIFA)ランク185位の格下とはいえ、世界最速ハットトリック。中山自身がだれよりも驚いた。「いいのかな、こんなに入れちゃって」。4点目、5点目は生まれなかったが、中山のプレーが決定力不足に悩んできた日本のモヤモヤを一掃した。盟友のカズが決め、中村も続いた。後半には平野、沢登、FW陣では高原が2ゴールした。「中山さんが口火を切ってくれたんでやりやすかった」と高原。ベンチで過ごした平瀬は「中山さん、すごい。あの執念を見習いたい」と興奮を隠さなかった。

 トルシエ監督も満足していた。「ボールへの集中力がすごい。足は老いても気持ちが若い。カズとともに中山は若手の見本だ」。その言葉通り、中山は気力で戦っている。スピードはない。1月末の福島・Jヴィレッジ合宿で実施された体力テストの20メートル走は3秒17。トップのGK川口の2秒80に大きく離されていた。

 それでも中山は充実した日々を送っている。右ヒザ、右眼、左ヒザ、左肩……度重なるケガに見舞われながら復活してきた。98年のJリーグでは4試合連続ハットトリックという、もう1つのギネスに登録された世界記録を樹立している。その秘密を中山はこう打ち明ける。「リハビリをするたびに、気持ちが強くなる。若い時より1つ1つの練習に緊張感と危機感を持って臨んでいます。この年で代表から落ちると、はい上がるのはきついですから」。

 試合後、「世界記録」を知らされた中山は、わずかに笑みを浮かべた。「またチーム(磐田)からご褒美が出るといいですね」。一方で「1、2点目につぶれ役になったカズさんやみんなのおかげです」と感謝の言葉も忘れなかった。おごりはない。98年フランスW杯で日本唯一のゴールをたたき出した男は、自分のことを「下手くそ」と言う。だが、気持ちではだれにも負けない。代表初ハットトリックを胸に、2002年W杯まで走り続ける。

 ★中山のハットトリック達成を聞いた磐田荒田忠典社長の話 世界新記録なの? もちろんギネスブックに申請します。でも3点の後、力が入って点が取れなかったね。もっと力を分散させて、その後も取れればもっとよかった。

 ◆最短ハット ギネスブックによると、国際試合でのこれまでの記録は、1938年11月16日にイングランド代表ジョージ・ホール(当時トットナム)が、北アイルランド代表戦で記録した3分30秒。ホールはこの試合で最終的に5得点を記録し7-0の大勝に貢献した。クラブチームレベルでは、73年3月18日のアルゼンチンリーグで、インデペンディエンテのマリオーニが、ヒムナシア戦で達成した1分50秒が最短記録となっている。

 ◆ブルネイのレベル 国際サッカー連盟(FIFA)ランクは185位で、アジア杯予選10組に参加している4カ国の中で最も低い。レベルは日本の高校生程度。個人技はそこそこあるが、平均身長は約170センチで身体能力に欠け、運動量も少ない。特にディフェンス面に難がある。日本とは、Aマッチで過去2度対戦して2連敗している。1980年4月2日にマレーシアで開催された五輪予選での初対決では1-2の惜敗だったが、84年3月6日のブルネイでの親善試合では、1-7と大敗している。

※年齢、記録や表記は当時のもの