日本がW杯を巡って8戦未勝利のオーストラリア戦をたどる連載「俺とオーストラリア」の第6回はDF栗原勇蔵(33=横浜)。12年6月の試合は独り舞台だった。あわや失点の場面をスーパークリアすると、先制点まで決めた。だが最後に2枚目の警告を受けて退場。良くも悪くも大暴れした。

 W杯ブラジル大会に向けたアジア最終予選の第3戦。同組最大のライバルと最初に対戦した日、栗原は日本中に歓喜とため息をもたらした。その試合の関東地区の平均視聴率は、紅白歌合戦に次ぐ年間2位の35・1%。最大の見せ場は0-0の後半20分だった。右サイドをゴールライン付近まで切り込んだMF本田のクロスが、ファーサイドでフリーになっていた栗原の足元へ届いた。

 栗原 本当に、流し込むだけというボールが来た。「これを入れれば」というのと「これを外したら」というのが、一瞬のうちに頭をよぎった。ボールがゆっくり見えるわけじゃないのに、スローモーションのように感じた。これは外しちゃいけないというボールだったので、慎重に、慎重に(笑い)。入った瞬間、ホッとした気持ちと興奮が、一気に湧いて出てきた。

 オーストラリア戦4日前のヨルダン戦でも、栗原は得点を決めていた。W杯最終予選でのDFの2戦連発は初。ゴールへの嗅覚も研ぎ澄まされていたが、実は巧妙な駆け引きもあった。

 栗原 ちょうどゴールの前に、マークの選手と小競り合いをしていた。相手がムキになってマークに付くと思ったので、それを逆手に取った。ゴールから離れたところでマークを外したら、そこにクロスが来た。

 本職の守備では、絶体絶命の危機を救った。前半19分、ゴールに吸い込まれそうなボールをスーパークリア。ゴール前で敵味方入り乱れ、倒れ込みながら左足を伸ばしてCKに逃れた。

 栗原 もつれながら倒れて、そこにたまたまボールが来たという感じ。数センチずれていたらクリアできなかった。乗っている時は、そういうことが起きるもの。

 試合終了間際には余計なおまけも付いた。後半44分、微妙な判定で2枚目の警告を受けて退場した。

 栗原 (DF内田のファウルで後半25分に同点とされる)PKを取られたのも微妙な判定で、これがアウェーだと気を付けながらプレーしていたけど…。ただ最後の最後だったし、自分の役目をやりきった、どこかホッとした感覚だった。他の国なら勝って当然の雰囲気だったと思うけど、オーストラリアだったのでみんな気合が違った。かえってやりやすかった。

 国際Aマッチでの得点&退場は、カズ(三浦知良)以来2人目、W杯予選では初という珍記録となった。だからこそカップ戦などを含め、プロとして400戦以上出場した中でも「一番思い出深い試合」と振り返る。代表通算20戦3得点の栗原が、ひときわインパクトを残した試合だった。【高田文太】

 ◆栗原勇蔵(くりはら・ゆうぞう)1983年(昭58)9月18日、横浜市生まれ。02年に横浜ユースからトップチームに昇格し、横浜一筋。03年にワールドユース(現U-20W杯)出場。06年のオシム・ジャパンで代表初招集。代表通算20試合出場3得点。横浜ではリーグ戦通算309試合出場、16得点。184センチ、80キロ。