暮れゆく2018年、スポーツ界にはさまざまな出来事があった。2月の平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)、サッカーワールドカップ(W杯)、9月にはテニスで大坂なおみが全米オープンを制した。一方で不祥事も相次いだ。「2018年 取材ノートから」と題し、各担当記者があらためてこの1年の話題を7回にわたって連載する。第1回はサッカー日本代表、森保ジャパン誕生の背景を紹介する。

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西野朗(63)から森保一(50)へ。W杯を指揮して結果を出し、その監督を支えたコーチが大会後にバトンを受け継ぐ。極めて自然な流れだが、これを良しとしない意見が日本サッカー界には存在する。

一部ファンやサッカー協会内部にある日本人監督の不要論だ。彼らの主張は「サッカーはどんどん進化する。選手が海外で経験を積み、世界基準の監督のもとでサッカーを極める時代に、世界の経験がなく、Jリーグしか知らない人が代表監督を務めるのはバランスが良くない。海外組のコントロールが難しい。選手も素直に監督の言葉を聞かない」と要約できる。

田嶋会長が「日本の指導者を育てていく。代表監督も日本人で」と声を大にしても、反対意見が根強い。その事実を西野監督も技術委員長時代から知っていた。だからハリルホジッチ監督の途中解任には素直に賛同できなかった。結局、当時の西野技術委員長は「ロシアW杯限り」の条件で監督を引き受けた。予想以上の快進撃があり、2年間の延長を要請された。田嶋会長から3度も説得されたが、最後まで首を縦に振らなかった。

なぜなら-。西野監督には思い描いた理想があった。「日本人の継投」。森保コーチを次期監督として考えていた。ロシアからの帰国前に森保コーチを呼び、1時間以上話し込んだ。

「オレはもうやらないから、次はお前がやってくれ。できる限りのバックアップをする。日本が世界と戦うための流れはできているし、選手も自信を付けている。お前が引き受けなければ、この流れは途切れてしまう」

「西野さんが続けてやるべきです」

森保コーチは、西野監督の提案をすぐには引き受けなかった。

実はこの会話の意味は大きい。今年は日本サッカー界にとって大きな革命の年と言える。93年にJリーグがスタートし、加茂監督が更迭される緊急事態で岡田コーチが昇格した例はあるが、それ以外に日本人が続けて指揮を執ったことはない。「先進サッカーを求める。世界に勝つため」が主な理由で、ほとんどの人が、この言葉に納得していた。日本協会の上層部は「前任者が築いた日本サッカーの継続」を強調するが、監督が代わればサッカーも変わってきた。

西野監督と森保監督はサッカースタイルは違うかもしれない。しかし2人は根底にある協調、献身、調和、連動、我慢など日本の精神、つまり日本人選手の良さを最大限に引き出すすべを共有する。その確信があったからこそ、バトンが渡された。森保監督も引き受けたバトンを次世代に引き継ぐための努力を惜しまないことを、西野監督に伝えている。

今後も続くはずの日本のサッカー史。時代が過ぎ、世代が変わっても、今年は大きな変化をもたらす記念の年として記憶されるはずだ。【盧載鎭】