日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督(57)が「ザック流」サッカーのルーツと未来を語った。このほど都内で「スカパー!
独占
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W杯アンコール企画
ザッケローニの素顔に迫る
~カルチョの視線~(初回は6日放送予定)」の収録に臨んだ。1時間30分に及ぶインタビューの中では、得意とする3-4-3への考え方とともに、日本で目指すサッカーについても熱っぽく語った。
都内ホテルの一室。大量の機材をかいくぐり、瀟洒(しょうしゃ)なスーツ姿のイタリア人が現れた。
ザッケローニ(以下ザック)
ちょっと暑いな。
シャツの胸元を少しゆるめて、熱を込めて語り出したのは、まずは目指すサッカーのルーツについてだった。
ザック
(サッカーは)母のおなかの中にいたころから始めていたと思っているよ。ただ、頑張ってもトップレベルの選手にはなれなかっただろう(笑い)。17歳の時に息もできないような病気になり、2年間は休まざるを得なかった。病気後はほとんどアマ生活だった。28歳まで。そのあとに子供の指導を始めた。
ユース世代の指導をへて、30歳で当時3部のチェゼナティコで監督デビュー。そして95年に就任したウディネーゼでブレークした。
ザック
スタメンはすべて覚えている。周囲は『ザックの最高の仕事はミラン時代』と言うが、自分はウディネーゼの時だと思っている。ここ20年、ウディネーゼは素晴らしいパフォーマンスを披露した。成績、能力、継続力。良い選手はいたが、ビッグネームはほとんどいなかったことを考慮すると、イタリアカルチョで見本になるべき存在。
ザックはここで、革新的なシステムを採用し、一世を風靡(ふうび)する。
ザック
当時のイタリアでは、3トップを採用しているチームはなかった。だから外国クラブから学ぼうと考えた。あの時はクライフのバルセロナ。現地に1週間滞在し、フォーメーション理解に努めた。そしてイタリアで実践しようと考えたが、結果重視の戦術には合わなかった。だから多少変更し、DFは3枚のまま、だが中盤をひし形ではなくラインにした。そういう3-4-3。当時は斬新で対戦相手は対応に手を焼いたことだろう。最大の問題は選手に自分の考えを受け入れさせることだった。変化には困惑がつきまとうものだ。だが、最終的に成功し組織も選手も手応えを得た。今では3-4-3は私のドレスのようになった。
その後ACミランでも、3-4-3システムで、セリエA制覇を成し遂げた。そんな中でも「ザックサッカーの教科書」というべき試合が2戦あるという。
ザック
まずはウディネーゼ対アヤックス(注1)。2-1で勝利したが、ウチがあらゆる面で上回った。そして若手に見せたいのは、ディナモ・ザグレブ対ACミラン(注2)。この試合のVTRを、コベルチャーノ(イタリア代表の合宿所)に置くべきだ。本当に高い位置からプレッシャーをかけていた。相手ペナルティーエリア内までFWがプレスするように。そして、3人の若者を起用した。セリエBから来たFWコマンディーニ、ディナモ・キエフから来たばかりのとても若い時のFWシェフチェンコ、そしてRマドリードから獲得したばかりのFWホセマリ。確かベンチやスタンドには、レオナルド、ビアホフ、ボバンがいたはず。
当時の世界的スターを外しても機能した3-4-3システム。日本代表でも可能だろうか。
ザック
3-4-3が可能な選手は日本にもいる。最も良い状態の選手を、Jリーグで探しているが、フォーメーションや、システムは選手にかける衣装・ドレスであり、使える選手に最も合う衣装を探すことが大事。選手の特徴をアップさせて、雑なところを隠す衣装をつくらなければならない。
言葉通り、ザックはサッカー界の移ろいゆくトレンドにも目を向け、柔軟な発想で日本代表に着せる「衣装」を考えている。
ザック
W杯をみる限り、システム的には各国似たような印象を受ける。4-2-3-1が主流。ただ、レボリューションは『試合中にフォーメーションを変える』ことかもしれない。
日本古来の「十二単(ひとえ)」のように、さまざまな「衣装」を重ね着させる-。そして状況に合わせて装いを変えていくのが、ザック理想の「日本代表像」なのかもしれない。【構成=佐藤貴洋、塩畑大輔】