母校の誇りを胸に初戦を取る。U-22(22歳以下)日本代表は佐賀・鳥栖合宿初日の19日、ロンドン五輪アジア最終予選初戦マレーシア戦(21日)の会場ベストアメニティスタジアムで非公開練習を行った。主将を務めてきたMF山村和也(21=流通経大)は、卒業した国見がある長崎県の隣県での試合で、家族や恩師も観戦予定など気合十分だ。国見は過去4大会の五輪で、計6人の代表選手を輩出しており、出身高校別で最多タイ。「先輩に続きたい」と7人目の男になるため、「国見力」を見せつける。

 練習を終えた山村の声のトーンが、数段階上がった。甲高い声で、目を見開き「最多になるんですか!

 頑張らないといけないですね」。自分の役割に、気合が一層増した。

 年齢制限が設けられた92年バルセロナ五輪以降、本大会出場の過去4大会の登録メンバーの出身高校別で、母校の国見は鹿児島実と並び最多タイの6人。96年アトランタ五輪のMF路木から、04年アテネ五輪のFW平山まで。「すごいです。自分も続きたい」と“単独首位”に立つ7人目の男が目標になった。

 その第1歩をしるす場として、最適な会場だ。22歳以下だが、鳥栖で日本代表の試合が行われるのは初めて。故郷の長崎県から最も近い場所での代表戦。両親はもちろん、国見で2年までお世話になった小嶺忠敏・元総監督(66=現長崎総合科学大学教授)も来場する。ボランチとして、攻守での奮闘を期す。

 本人は五輪世代の国見の強みについて、「メンタルが大きい」と分析する。3年間の寮生活では携帯電話、テレビ、雑誌が禁止で、外出も許されていない。だが、その生活でサッカーに打ち込むことで、「日本のものがない海外にいっても、動じないというか。強みになる」という。

 小嶺氏は中学生をスカウトする判断基準に、理由を見いだす。「私の場合、先天的な能力を見ます。高校に入ってから大学までの7年間を考えて取ります」。パスの意外性や足の速さなど、鍛えられない部分を重視するという。そして成長を促す。結果、代表に入るような才能が花開いていく。

 まだ正式ではないが、今回も主将就任が濃厚だ。国見の3年時もキャプテンだった。「高校の時は(主将として)結果を残せない年代だったので、立場を利用して、チームの雰囲気をよくしていきたい」。五輪切符をかけた戦いは、個人的にはリベンジの舞台でもある。母校に感謝しながら、国見で培った経験を生かして勝利を呼びこむ。【阿部健吾】

 ◆長崎県立国見高等学校

 1967年(昭42)島原高から独立する形で創立。全日制の普通科。サッカー部は学校創立と同時に創部。86年の全国選手権に初出場して準優勝。翌87年に初優勝し、通算6回の優勝。OBには大久保嘉人(神戸)平山相太(東京)らがいる。小嶺氏は84~00年に監督、00~08年に総監督として携わった。所在地は長崎県雲仙市国見町多比良甲1020。