日本人DF初

 のプレミアリーガー、日本代表DF吉田麻也(24=サウサンプトン)が日本代表やロンドン五輪、新天地プレミアでの挑戦について大いに語った。1-0で勝ったW杯アジア最終予選イラク戦(埼玉)から一夜明けた12日、渡英直前に日刊スポーツに独占激白。特別な響きの「プレミア」という肩書を手にしても「ボクはまだまだエコノミーです」と、ハングリーさを強調。欧州最高峰のリーグで、新たな道を切り開く覚悟を語った。

 イラク戦の守備での踏ん張りを示すように、ホテルから出てきた吉田の目は充血していた。ただ、その目はしっかりと前を見据えていた。日本人DFで初めてプレミア移籍を果たした24歳が、渡英直前に使命感を口にした。

 「“日本人初”という看板を背負う意識はあります。今まで中田英寿さん、中村俊輔さんが切り開いて、中盤の選手がたくさん海外でプレーできる時代になった。センターバックではボクが道を切り開くような活躍を見せたい。それができれば、サッカー界に貢献できると思うんです」

 前夜は今野、内田、栗原を欠いた最終ラインをまとめ、体を張って日本を完封勝利へと導いた。戦前は主力不在の危機と騒がれたが、意地があった。

 「あれだけ『誰々がいない』と言われれば、みんな刺激されないはずはない。でも、ボクはいつも通りやろうと思っていました。ボクがサポートするとまでは言えない立場ですけど、せめて周りを落ち着かせたい、とは思いました。誰かがいなくて崩れるとか、負けるとか、そうはなりたくなかったので」

 鉄壁のコンビを組んできた今野と合宿中に電話で話をした。

 「ヤットさん(遠藤)が電話をしている時に(今野に)代わってもらいました。『サウサンプトン吉田です』って移籍を報告して、突っ込まれたくらいです(笑い)」

 試合の話題は一切なかったという。これも平常心でいられた1つの要因かもしれない。GK川島の力も借り完封という結果を出した。

 「内容はともかくゼロという数字(完封)がすべてです。永嗣クン(川島)は頼りになります。でも、最近落ち着いているんです。多分、ドヤ顔キャラに疲れたんだと思います(笑い)」

 今夏はフル回転した。オーバーエージ(年齢制限外)枠で加わったロンドン五輪は守備陣をまとめ4強入り。その活躍でオランダ1部VVVからの移籍を勝ち取った。個人的には大きなものを得た。ただ主将として、日本代表として、宿敵韓国に屈して銅メダルに届かなかった五輪には苦い思い出も残った。

 「プレミアに行けましたけど、正直、それ以外に形として手に入れたものはない。何回も、何十回も言いますけど、メダルが取りたかった。やっぱり五輪はメダルを取ってこそだと、日本に帰ってきて思いました。サッカー界で『世界のベスト4』は冷静に考えて価値があるんですけど、韓国に負けたこととメダルが取れなかったこと、2つの負の要素がかなり響いています…」

 悔しさは、まず新天地プレミアで晴らす。香川のマンチェスターUや昨季王者マンチェスターCとの戦いも、楽しみで仕方ない。待ち受けるレギュラー争いも成長の糧とし、もっともっと大きな存在になる。

 「フェンロ(VVV)からいきなりプレミアに行けたことによって、未来予想図が自分のビジョンに追い付いてきたと思うんです。ここで活躍して、次のビッグステップを踏むイメージもしています。もちろん、まずはこのチームで結果を出す、今はそこに集中してます。でも、1つ言えるのはプレミアリーグのほとんどの移籍が国内移籍なんです。つまり、ビッグチームに行ける可能性、チャンスがあるということです」

 同リーグには仲の良い日本代表の後輩、宮市(ウィガン)がいる。「宮市がプレミアの先輩なのは…(苦笑い)」と少し気にしているが、最後は航空機の座席のグレードを引き合いに出し、持ち前のユーモアをたっぷり込めて、意気込みを口にした。

 「プレミアって、いい響きですよね。でも、ボクはまだまだエコノミーですよ。でも、次はプレミアムエコノミーくらい、そしてファーストとステップアップしていきたいですね」

 早ければ15日のアーセナル戦(アウェー)が、新天地サウサンプトンでのデビュー戦となる。【取材・構成=八反誠】

 ◆吉田麻也(よしだ・まや)1988年(昭63)8月24日、長崎県生まれ。名古屋ユースから07年に昇格。J1通算71試合5得点。10年1月にオランダ1部VVVに移籍。08年北京、12年ロンドン五輪代表。10年1月に日本代表に初招集され、センターバックの主力として11年1月のアジア杯優勝に貢献。国際Aマッチ通算19試合2得点。愛称「マヤ」。ブログが大人気。189センチ、81キロ。