<フットサルW杯:日本3-6ウクライナ>◇11日◇バンコク・インドアスタジアム・フアマーク◇決勝トーナメント1回戦

 カズのW杯が終わった。日本はウクライナに敗れ、8強入りはならなかった。今大会最多の7度途中出場した三浦知良(45=横浜FC)は涙は見せず、晴れやかな表情で、45歳にして立った29分4秒間のW杯を振り返った。フットサル界の未来を照らす、キング・カズの挑戦が幕を閉じた。

 終戦を告げるブザーが鳴り響くと、カズは上を見上げた。コートで組む最後の円陣。カズは号泣する仲間の肩をたたく。その目に涙はなかった。「泣けなかったですね。もう少し上に行けたら、泣きたいと思ってました」。最後の最後まで、貪欲な魂が燃えていた。

 日本は立ち上がりから試合の主導権を握られた。ほとんどの選手の動きが鈍く、次々と失点を許す。前半10分には、カズは目の前でゴールを決められた。それでも、後半はパワープレーで流れを取り戻した。カズも攻撃、守備と陣形が変わる度に、電光石火のようにコートとベンチを往復した。3点を返すのが精いっぱいだったが、日本の意地は見せつけられた。

 この日は10分17秒の出場だったカズ。4試合で合計29分4秒間のW杯が終わった。「日の丸の重みを感じられた、素晴らしい経験でした」。カズとW杯といえば、98年フランス大会でメンバーから落選したドラマが印象深い。カズは「自分の夢は、あくまでサッカーのW杯。あの時のことは一切関係ない」と言ってきたが、14年前の思いは心の底に渦巻いていた。

 先月下旬に代表宿舎で、直前に大会メンバーから落選した滝田(町田)と仁部屋(大分)と入浴をともにする機会があった。湯煙の中で、カズは語った。最初に代表に選ばれたころの環境。トレーナーはおらず、体のケアは個人責任。海外遠征の際は、照明もない小さな公園で練習して出国に備えた。協会関係者を「こんなのプロじゃない!」と一喝したことも明かした。滝田と仁部屋の姿が、14年前の自分と重なったのかもしれない。競技の未来のため、声を出して待遇改善を訴える大切さを、フットサルでも継承してほしい思いで、熱く訴えかけた。

 4年後には、再びW杯が待つ。カズは、自身の出場について「むちゃくちゃなこと言うね。生きてるか分からない」と笑ったが、挑戦は終わらない。

 カズ

 2012年はフットサルにとって新たな出発だと思う。フットボールファミリーとして必要なことがあればやっていきたい。

 カズの挑戦で、フットサルがこれまでにない注目を浴びたのは事実。キングとともに、新たなストーリーが幕を開ける。【由本裕貴】