W杯ブラジル大会が幕を閉じ、16年リオデジャネイロ五輪へ動きだした。U-21(21歳以下)日本代表の手倉森誠監督(46)が、21日までに和歌山・那智勝浦町の熊野那智大社を参拝した。「リオ世代で世界へリベンジ」を掲げ、前回ロンドン大会の4位以上=メダル獲得を必勝祈願した。日本代表のエンブレムにもなっている八咫烏(やたがらす)を祭る神社で、2年後へのスタートを切った。

 神頼み、ではなく決意表明が目的だった。帰京後、取材に応じた手倉森監督によると、熊野那智大社を参拝したのは今月14日。W杯決勝のドイツ-アルゼンチン戦を視察先の大阪でテレビ観戦し「興奮して寝られなくなり、そのままレンタカーに乗った」。あえて、奈良の秘境天川村など舗装されていない道を通った。これから歩む険しい道のりを感じながら、片道5時間かけてたどり着いた。

 那智大社など「熊野三山」の守り神「八咫烏」と、日本サッカー協会のシンボルが同じ3本足のカラスという縁で、W杯初出場の98年から日本協会の参拝が始まった。ただ、いずれも訪れたのは関係者で「代表監督が直接来られた例はありません」(熊野三山協議会)。手倉森監督は「W杯が終わる日はリオへの戦いが始まる日。実際に足を運ぶことで、その1歩を踏み出したかった」と1人旅の理由を説明した。

 那智の滝を背に467の石段を上がり、神前で「日本サッカーを世界の強豪国に」と誓った。W杯で韓国-ベルギー戦など3試合を見て思ったことだ。「世界基準が分かった。アジア勢は理想を追い、現実を突きつけられた。ほかの国も特有性を出す大会になるかと思ったら、どこも勝利優先。前回優勝のスペインを追うのではなく倒そうとしていた。その姿勢がアジアと世界の差になった」。

 そして「リオ世代が今回の日本の結果を挽回しなければ。2年後の五輪までに今回の差を詰めないと、4年後のロシアW杯でまた苦しむ。世界相手に苦戦することを前提としたチーム作りが必要」と実感した。同時に、これまでU-21代表に伝えてきた「全員守備、全員攻撃」が世界の流れになった。「目指す方向は間違っていなかった」と確信した。

 今後は8月に福岡で合宿し、9月の仁川アジア大会(韓国)で連覇を狙う。「まずはアジアでも現実的な戦いをして勝つ。理想を語るのはその先」と結果を優先する。「W杯の悔しさを受け止め、日本の現在地を理解させることからブレずにやっていく」。八咫烏が羽ばたいた場所から、地に足つけてリオを目指していく。【取材・構成=木下淳】

 ◆熊野と八咫烏(やたがらす)

 熊野三山では熊野権現の使いとして、3本の足を持つ黒い鳥「八咫烏」をあがめてきた。神武東征で、神武天皇を熊野から大和へ導き、勝利の象徴とされ、3本の足は「天地人」を表す。日本サッカー協会(JFA)のシンボルに八咫烏が採用されたのは、日本初のサッカー書「アッソシェーションフットボール」を出版した中村覚之助氏が現在の那智勝浦町出身だったことに起因する。中村氏の後輩で、後のJFA創設に尽力した内野台嶺氏が、中村氏に敬意を表して1931年(昭6)にデザインを発案、採用した説が有力視されている。