日本代表のハビエル・アギーレ監督(55)が青空ミーティングで「所信表明」を行い、就任後初の公式戦となるアジア杯オーストラリア大会(15年1月)優勝へ決意を示した。アギーレジャパンは1日、札幌市内で始動。練習前、約5分間のミーティングを行い「日本がアジアNO・1であることを証明しよう」と呼び掛けた。初陣の親善試合ウルグアイ戦(5日・札幌ド)へアギーレ色へとチームを染めていく。

 新指揮官の言葉が、北海道の大地に響いた。「新しいプロジェクトが始まる。目標はW杯ロシア大会に行くことだ。まずは(1月のアジア杯で)日本がアジアNO・1であることを証明しよう」。新生日本代表のスタートの日、アギーレ監督は選手に強く語りかけた。

 当然、最終目標は4年後のW杯ロシア大会。ただ、その前にアジア杯2連覇を目指す意気込みを選手たちに示した。この日は軽いメニューが中心だったが、本田、長友ら海外組が2日に合流し、全員集合した後に「練習の負荷も上げる。ミーティングで私のチームの規律などを伝えたい」とアギーレ流の注入に移る。

 会話路線という「アギーレ色」を初日から見せつけた。ウオーミングアップのランニングに参加し、選手に声をかけた。「コーチ陣も用具係も同じスタッフ」と話したように、用具係とまで入念に打ち合わせ。練習後、ゲリング・コーチと25分ほど議論しつつ、「フィールドの選手のバスを先に出してくれ」とスタッフに指示を出し、居残りのGK練習が終わるまでピッチに立った。

 練習終盤のサッカーテニスではGKチームと対戦したフィールドプレーヤーの選手に対し、「GKチームに負けたらホテルまで走って帰れ」と冗談も飛ばした。「選手に冗談を言って話し掛けるのは私のスタイル」。ピッチ上に現れてから去るまで2時間強。絶え間なく会話を続けた。

 日本語習得への意欲も示した。これまでの日本代表の外国人監督は、日本語を理解していたジーコ氏(02~06年)でさえ、指示はポルトガル語で出して通訳が翻訳していた。アギーレ監督は練習後に選手たちに「今は通訳に助けを借りているが、いつかは日本語で指示を出したい」とキッパリ。近い将来、スペイン語、英語に日本語を交えて指示を送る姿が見られることになるかもしれない。

 初陣のウルグアイ戦まで与えられた時間は少ない。「数回の練習で1つのチームを作り上げるのは難しいが、戦う姿勢を求めたい。サッカーは戦うもの。90分間しっかり戦い、走って勝つ」。アギーレ・イズムで日本を進化させる。【菅家大輔】<アギーレのメキシコ監督時代のスペイン語での指示>

 ◆02年W杯日韓大会時「(守備時には)マークはきつくいけ!」(MFラモン・モラレスの話)

 ◆10年W杯南アフリカ大会時「(攻撃時は)数的優位を作れ!」「(守備時は)早くボールのリカバリーに努めろ!」(MFイスラエル・カストロの話)