<アジア杯:日本1-0イラク>◇1次リーグD組◇16日◇ブリスベン

 日本代表MF遠藤保仁(34=G大阪)が、金字塔を達成した。元ドイツ代表DFマテウスに並び、世界16人目となる国際Aマッチ150試合を達成。中盤の右で先発し、前半22分には前線の乾にスルーパスを通してPK獲得の起点となった。同27分には本田へラストパスを送るなど、後半19分に交代するまで「心臓」として躍動。試合後に「150」のユニホームを贈られ、仲間から胴上げされた。

 「マテウスと比べたら、マテウスに失礼になる。これだけ積み重ねてこられたのは自分の誇り。現役を終えた時に自慢できることがまた1つ増えました」

 紆余(うよ)曲折を経てたどり着いた。00年シドニー五輪では予備登録メンバーにとどまり、出番なし。その挫折が原動力になった。「五輪があったから、常に代表で活躍したいと思った」。

 ジーコ体制の02年11月20日アルゼンチン戦で代表デビュー。走力を重視したオシム体制になると「俺の時代は終わった」と代表漏れを覚悟した。だが「走れない」と言われた遠藤が、オシム監督の影響で走れるようになり「僕のサッカー観を変えてくれたのはオシムさんのおかげ」と漏らした日があった。岡田-ザッケローニ-アギーレと監督が代わっても信頼は変わらない。

 「デビュー戦も初ゴールも、W杯も覚えている。印象的な試合を1つに絞ることはできない。まだ立ち止まるわけにはいかない」

 10年W杯後のこと。親友の中村俊輔が代表引退を表明した際には「僕は引退するまで代表を狙い続ける」と言い切った。今月28日で35歳。鉄人遠藤は、まだまだ枯れない。【益子浩一】

 ◆国際Aマッチ通算150試合出場

 MF遠藤が16日のイラク戦で達成。日本代表では初。世界では16人目(FIFA統計)で、元ドイツ代表DFマテウスの記録に並んだ。歴代最多は元エジプト代表FWアーメド・ハッサンの184試合。2位が元サウジアラビア代表GKアルデアイエの178試合。現役ではスペイン代表GKカシリャスの160試合が最多。<遠藤と日本代表>

 ◆初出場

 02年11月20日アルゼンチン戦で初出場。03年のコンフェデ杯、04年のアジア杯では主力。しかし06年ドイツW杯では登録選手中唯一出場なし。

 ◆躍進

 06年就任のオシム監督に重用され、代表の柱に。後任の岡田監督が率いた10年南アW杯でも全試合先発で16強入りに貢献。

 ◆最多

 12年10月16日ブラジル戦で国際Aマッチ通算出場123試合とし、井原を抜いて日本歴代最多。13年10月11日セルビア戦で同137試合に達し、洪明甫を抜いて東アジア歴代最多記録をつくった。