リオ世代が8強の壁を打ち破り、6大会連続五輪出場に王手をかけた!! 日本は準々決勝イラン戦で、延長戦の末に3-0で勝利を収めた。延長前半6分に途中出場のMF豊川雄太(21)がヘディング弾。同後半4、5分にMF中島翔哉(21)が連続ゴールを決め、120分間の死闘を制した。26日の準決勝で、UAE-イラク戦(23日)の勝者と五輪切符をかけて対戦する。

 どこからともなくイランゴール前に現れた。途中出場のMF豊川だ。延長前半6分。右サイドでボールを持ったDF室屋が右足から左足へ持ち替えたときだ。イランDFの背後へと隠れ、クロスが届いたときには頭1つ抜けだしてのヘディング弾。「DFとの駆け引きがよかった。『決めてやるぞ』という気持ちでピッチに入ったし、『やったぞ』という気持ちでベンチに走った」。後半43分からピッチに入り、6大会連続五輪出場に王手をかけた。

 手倉森ジャパンでも勝負強さを発揮してきた。最終予選メンバー残り2枠を争った昨年末の沖縄・石垣島合宿。紅白戦の1アシストが実った。常に当落線上にいた存在。昨年11月の神奈川・平塚合宿では、当初メンバー外で追加招集の連絡が入ったが行けなかった。外されたことで、後に移籍する岡山の試合を見に行っていたからだ。1度は干されかけたが、手倉森監督から最後のチャンスを与えられ、指揮官から「2枠は滑り込みじゃない。キーマンになる」と期待された通りの結果を出した。

 勝負強さのルーツは中高時代にさかのぼる。中学3年で熊本・大津高の入部試験を受けた。熊本の中学で有名な存在だったが慢心から落選。「もし次も落ちたら普通の高校に行くしかない。プロになれなかった」という一発勝負の2次試験に再挑戦し、合格した。高校3年、鹿島入団の時もそうだった。強豪大学へ進学予定だったが「記念」で鹿島の練習に参加。ここでも一発勝負でアピールに成功。ほれた当時のジョルジーニョ監督から「一緒に戦おう」と口説かれた。人生が変わった。

 リオ世代では5連敗中だったアジア8強の壁を打ち破った。「一喜一憂してられない。最初から出ても途中から出ても得点取って結果を残したい」。五輪まであと1つ。王手をかけて気を引き締めた。【木下淳】

 ◆豊川雄太(とよかわ・ゆうた)1994年(平6)9月9日、熊本市生まれ。第2さくら体育幼稚園でサッカーを始めた。熊本・大津高に進み、12年にプリンスリーグ九州で得点王。13年に鹿島に入団し、今季は岡山へ移籍。背番号は14。173センチ、62キロ。右利き。

 ◆リオ五輪への道 1次予選突破15チームに開催国カタールを加えた計16チームが最終予選出場。1次リーグ各組上位2位までが準々決勝に進出し3位までに出場権。準々決勝以降は前後半各15分の延長戦あり。それでも決着がつかない場合はPK戦。