手倉森ジャパンがリオ切符をつかみ取った! 勝てば最終予選突破が決まる日本がイラクを2-1で下し、6大会連続10度目の五輪出場を決めた。前半26分にFW久保裕也(22=ヤングボーイズ)が先制したが、同43分に失点。試合終了間際の後半48分、MF原川力(22=川崎F)が強烈なミドルシュートで決勝点を奪った。選手としては大成しなかった手倉森誠監督(48)が「反骨心」を合言葉に谷間の世代を鍛え上げ、日本サッカー因縁の地ドーハで歓喜の花を咲かせた。

 勝った。五輪だ。かつて悲劇があったドーハが歓喜に包まれた。1-1の後半ロスタイム3分、この世代最強だったイラクから決勝ゴールを奪うと、手倉森監督は右拳を振り上げ、ベンチの仲間と抱き合った。MF南野の右クロスがクリアされ、こぼれ球をゴール正面に走り込んだMF原川が左足で蹴り込む。2年前、手倉森ジャパン初ゴールを決めた男が、また決めた。

 手倉森監督 90分で勝ちたかった。その通りなって、しびれましたね。ドラマのような年代の選手。できすぎの内容ですけど、五輪決めました。難しいとか、厳しいとか言われた中で奮い立たせてやってきて、いつかやってやるんだという気持ちが実を結んだ。神様からのプレゼント。ドーハの悲劇から、歴史を逆転させるいい勝ち方だった。

 勝利の瞬間、全員がピッチ上で重なり合った。指揮官は、サポーターの前で歓喜のウオーターシャワーを浴びた。93年に日本代表がW杯出場を目前で阻まれたドーハの地。あれから22年、くしくも今度はロスタイムの得点で笑った。

 「俺がポジティブなのは陰に反骨心があるから」。11、13、15年のU-20W杯を逃した谷間の世代を率いる手倉森監督も同じ境遇だった。ユース代表だった86年5月、勝てば同87年大会への出場が決まる韓国戦。トップ下で先発したが無得点。延長2-4で敗れ、試合後に「てめえのせいで負けた」と泣くまで怒鳴られた。怒らない指導の原点。「反骨心のある者同士。俺が火をつければ、こいつらは変わる」。就任前日の14年1月1日に言った通り、この世代3連敗中だったイラクにリベンジを遂げた。

 常に招集制限があり、2年間でベストメンバーを組めたのは昨年3月の1次予選と今回だけ。仙台時代の08年、財政難で外国人なしで監督業を始めた男に文句はない。計69人を招集して育て、今大会も初戦から先発を6人→10人→8人と変更。この日は4人を入れ替えた。今大会9人で12得点と、誰が出ても戦える一体感で五輪まで到達した。

 谷間の世代を率いてリオに乗り込む。「これから日本は強くなる。その使命感を持って、この世代を鍛え直さないと。大和魂、魂のかたまりです。(五輪は)国民と一緒に戦いたい」。

 鹿島をクビになった92年、競馬に全財産をつぎ込んで負け「死のう」とまで思った男は不屈だった。就任後は「手倉森じゃ無理」と何度も耳にした。だが東日本大震災を乗り越えた男は動じなかった。「震災後の仙台に比べれば、弱い世代だろうが災難なく引き受けられる代表の方が、よっぽど楽」。イラク戦の前日には口の中をかんだ。昔から体重が増えると出る癖だ。負ければ歴史的敗退の極限状態でも「太ったかも…」。

 肝の据わった大将が、どっしり構えてリオ五輪切符をつかんだ。【木下淳】

 ◆ドーハの悲劇 日本は93年10月28日、カタール・ドーハで、94年W杯米国大会最終予選の最終戦・イラク戦に臨んだ。勝てば初のW杯出場が決まる一戦は、FWカズと中山が得点し、2-1でリード。相手にCKを与えた直後、ロスタイムに突入した。イラクはコーナーからのクロスにオムラムが頭を合わせた。ボールは、日本のゴールに吸い込まれ、2-2で引き分けた。結果、日本は韓国と2勝2分け1敗で並んだが、得失点差で3位となり、2位以上に与えられるW杯切符を逃した。