「ドーハの悲劇」でGKを務めていた横浜の松永GKコーチは「勢いではなく、大会を通しての成長。低い評価に対する反骨心が、重圧を上回った」とたたえた。

 「同じドーハ、同じロスタイムで勝ってくれた。これでドーハの悲劇を少し前向きに振り返ることができる」と言う。失敗を受け止め、前に進まないといけないと言い聞かせ、取材でも快く93年当時のことを語るようにしてきた。しかし実際には、当時はショックからサッカーをやりたくないとすら思っていた。

 「W杯に出られなかったことは今でも本当に悔しい。でもあれをきっかけに、若手を育成しないといけないという機運が高まった。育成組織の充実。指導者ライセンス制度。そうしたものが実って、日本は本当に強くなった」。93年生まれの原川の決勝点は、先人たちの無念を昇華させた。