J2で3位の福岡が11年以来のJ1復帰を果たした。1点を追う後半42分、今季の強さを象徴するカウンターからDF中村北斗(30)のゴールで、4位のC大阪に引き分けた。シーズン上位クラブが勝者となる規定により悲願達成。元日本代表主将、井原正巳監督(48)は初の監督業で「経験のすべてを還元する」と攻守に改革を施し、昨季16位に低迷したチームを就任1年目で救った。

 井原監督が男泣きした。昇格を決めた瞬間、両手でガッツポーズ。スタッフと抱きあうと、こらえていた涙が止まらなくなった。選手らの手で3度宙に舞い、「福岡から多くのサポーターが詰めかけてくれて、福岡でもサポーターや関係者が応援してくれていたので、昇格をプレゼントできて良かった」と喜んだ。

 劇的だった。1点を追う後半42分、井原監督が鍛えてきたカウンターがさく裂した。「ビハインドは想定していた」。同39分、DF堤に代えてFW中原貴を投入。攻撃の手駒を増やす中、左サイドをオーバーラップしたU-22(22歳以下)日本代表DF亀川からのクロスをDF中村北が、角度のない位置からゴール左に右足で突き刺した。

 起死回生の同点弾。選手はサポーター席にダッシュし、スタンドも地鳴りのように歓喜した。中村北は08年オフにクラブ方針で泣く泣く福岡を去った。だが、東京、大宮を経て、井原監督に請われ復帰。「出たくて出たわけじゃない。J1に上げるため帰ってきた」。尊敬する指揮官に対する感謝を魂に込めた。

 12年の昇格PO開始以来、前年16位から最高のジャンプアップ昇格だ。昨季60失点の弱点を改革した。DF中村北や亀川ら守備の達人が加わり、特に手薄なサイドバックを補強。「十分J1を狙える」と評す戦力でスタートした。敵の戦術や試合の流れに応じ4バックと3バックを併用。攻撃はセカンドボール支配に重点を置いた堅守速攻スタイルを築き上げた。

 ブラジル代表FWネイマールの指導歴があるフラビオ・フィジカルコーチによる体力強化も、豊富な運動量を支えた。今季リーグ戦の失点は4位の37、得点が3位の63。完封勝ちも昨季の6から17試合に増え、バランスで戦国J2を乗りきった。

 川森社長は井原監督について「サッカー界にとって大事な人材。もともと単発では考えていない」とJ1でも指揮を執ってもらうつもりだ。同監督は来季へ「また福岡旋風を」。J1でも「井原アビスパ」の神髄を見せつける。【菊川光一】

 ◆井原正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日、滋賀県生まれ。守山高を経て筑波大。3年時の88年に日本代表入り。90年に日産自動車入社。99年まで横浜で活躍し「ミスター・マリノス」と呼ばれた。00年磐田を経て浦和に移籍し02年に現役引退。国際Aマッチ通算122試合出場5得点。98年W杯フランス大会の日本代表主将。日本を代表するリベロで「アジアの壁」とも呼ばれた。指導者転身後、柏ヘッドコーチなどを経て、15年から福岡監督。182センチ、72キロ。

 ◆アビスパ福岡 1982年(昭57)に静岡県藤枝市の警備会社、中央防犯ACM藤枝サッカークラブとして創立。翌年、静岡中西部3部からスタートし、92年JFL2部優勝。93年JFL1部昇格。94年藤枝ブルックスとなり、Jリーグ準会員となる。95年、本拠地を福岡に移転し福岡ブルックスと改称。96年にアビスパ福岡となる。「アビスパ」はスペイン語でスズメバチの意味。本拠地は福岡市のレベルファイブスタジアム(収容2万2563人)。川森敬史社長(50)。

 ▼記録メモ 3位の福岡がJ1昇格を決めた。昨季は16位に低迷したが、今季就任した井原監督の下、躍進。前年16位からのJ1昇格は、13年にプレーオフを勝ち上がった徳島(4位)の前年15位を更新。自動昇格に限ると、12年に2位で昇格を決めた湘南の前年14位が前年の最低順位記録。