なにげない1本のパスに、実は「親心」がこもっていた。

 後半28分8秒。浦和の最終ラインにいたDF槙野智章(28)は、前方のMF伊藤涼太郎(18)に縦パスを送った。その背後には2人のDF。伊藤はパスを受けると、ドリブルで相手との距離を保ちつつ、後方のDF遠藤にパスを返した。

 このプレー後、伊藤はフーッと深くため息をついた。高卒ルーキーにとって、これがプロの公式戦初のプレーだった。途中出場から、10秒足らずでめぐってきた機会。硬い表情で、槙野に思わず「いきなりはきついですよ」とこぼした。

 しかし槙野は「わざとパスを入れましたからね」と明かした。「早く慣れさせようと思いました。相手を背負っているのは分かっていましたが、そこをあえて入れた。できるのは分かっている。1つのプレーをこなせば、本人も乗っていけるんじゃないかと」。

 槙野がそう考えたのには、理由がある。それは消せない苦い記憶。06年12月2日、槙野は清水戦後半21分に、途中出場でリーグ戦デビューを果たした。

 当時はボランチでプレーしていたが、なぜかボールが回ってこなかった。ピッチ中央をさまよううちに、チームは3分で失点した。どうしたらよいのか。不安は時がたつにつれ、どんどん大きくなった。

 同28分。ようやく槙野はパスを受けた。しかし、不安で極限状態にあった新人選手には、落ち着いたプレーなど到底できなかった。つとめて丁寧に、後方に返したはずのパスは、きれいに清水FWチョ・ジェジンにわたった。

 現役バリバリの韓国代表のストライカーは、この「絶妙のラストパス」をムダにはしなかった。流し込むように、きれいに得点。槙野は自らのミスの結末を、ただぼうぜんと見つめるしかなかった。

 槙野は「涼太郎は試合後も、ずっと足が震えてました。自分にもああいう時がありました。懐かしいですね」と遠い目をした。

 「18歳が4万人が見守るスタジアムでプレーをするというのは、とても難しいことだと思います。彼は間違いなく、非凡なものを持っている。メンタルも強いですが、それでも萎縮してしまう。オレも怖かったから、すごく分かる」。

 あの日の自分は、ボールが来ないことで不安がつのった。だから槙野は知っていた。1本のパスで、開ける未来もある。

 「ミスをしても、サポーターのみなさんが拍手してくれたりもします。若い選手の成功には、目に見えない後押しも必要なのだと思うんです」。

 槙野は試合前日にも、京都から新加入のMF駒井に「今日は29日、肉の日。得点したら背番号が2×9=18番のヨシアキに肉をおごるよ」とハッパをかけていた。昨季加入したMF武藤、高木らも、槙野がチームになじませ、槙野のハッパで結果を出してきた。

 「敏腕プロデューサーなので」と照れ隠しに笑うが、その裏にあるのは深い思いやりだ。この日も槙野の後押しで、将来有望な新人がしっかりと第1歩を踏み出した。【塩畑大輔】