PK戦勝利の瞬間。途中交代で退いていた浦和MF高木俊幸(25)は、ベンチ前のピッチに突っ伏したまま、動けなくなった。

 涙があふれて止まらない。「自分が結果を出して勝ち上がってきたカップ戦で、最後に勝って終われて、本当にうれしかった」。大会5戦4発。チームを久々の国内タイトルに導く、影のMVPと呼ぶにふさわしい大活躍だった。

 そんな高木だが、7月半ばまではリーグ戦出場が2試合のみ。先発はゼロだった。そんな試練を乗り越え、歓喜の瞬間を迎えた。他の選手とは違う感慨があった。だからこそ、涙が止まらなかった。

 一時はベンチ入りすらできなかった高木が、クラブ10年ぶりタイトル奪取の立役者になった。その裏には、実はあるOBの後押しがあった。

 ◇   ◇

 7月17日、さいたまダービー大宮戦。ひざの負傷から復帰し、調子を上げていた高木は、事前の練習で十分なアピールができたと手応えを得ていた。

 「練習から、すごくいいプレーができていた。紅白戦でも、守備面など、自分が足りないと言われていた部分でも、できるというのをしっかりと示せた。やり切った感があった。今週はいける。そんな感触がありました」。

 しかしふたをあければ、前節まで果たしていたベンチ入りすらならなかった。

 ペトロビッチ監督期待の若手だが、右ひざの負傷もあり、5月から6月にかけてはベンチ外が続いていた。それでもケガが癒えると、4試合連続でベンチ入りも果たしていた。復調の手応えを得ていた中での、再度のベンチ外。ショックは大きかった。

 「気持ちの整理がつかなかった。サッカー人生の中で一番つらかった時かもしれません」。

 もうチームに必要とされていないんじゃないか-。脱力感にさいなまれながら、試合当日の昼間にベンチ外メンバーだけで行う練習を、何とかこなした。

 それが終われば、同僚の応援のため、大宮戦が行われる埼玉スタジアムに向かわなければならない。うつろな表情で、クラブハウスの玄関に歩み出た高木の前に、意外な人物が現れた。

 「トシ、乗ってけよ」。玄関先の車寄せに、乗用車をつけて待っていたのは、昨年現役を引退した鈴木啓太氏(35)だった。

 ◇   ◇

 試合直前のイベントに出席するため、埼玉スタジアムに向かうところだと、鈴木氏は言った。

 でもなぜクラブハウスに来たのだろう。いぶかしく思ったが、とりあえず助手席に座った。

 乗用車で20分ほどの道のり。田園風景の中を走りながら、話題は自然と高木の近況になった。

 ベンチ外がショックだったことを、素直に吐露した。出場機会が少ない高木に、他クラブが興味を示しているという情報も、本人の耳には入っていた。

 ハンドルを握りつつ、何度もうなずいて聞いていた鈴木氏は、少し考えた後におもむろに口を開いた。

 「ここで結果を出すのが一番いいんじゃないかな。タイミングはいずれ必ず来るから。そこでしっかりとチャンスをつかめるかどうかだと思うよ」

 時を待て。その言葉で、居残り組での練習の様子が、脳裏によみがえった。

 DF加賀が、MF平川が、必死の形相でボールを追い掛けていた。

 ベテランたちは、高木よりもずっと長くベンチ外が続いていた。それでも、まるでタイトルを懸けた一戦への出場を目前にしたかのようなテンションで、ユニホームを汗でびっしょりとぬらしていた。

 いつか来る「タイミング」に備え、ひたすらベストの準備を続ける。そうすることでしか、チャンスはつかむことはできない。

 ベテランたちはそれを心得ている。そうやって、定位置をもぎ取ってきた経験があるからだ。むろん、現役時代の鈴木氏もそうだ。

 高木は自分の調子がよいこの週を、自ら「タイミング」と位置付けた。だが、違った。それは当然だ。タイミングは、自分で決めるものではない。

 できる限りのことをしながら、時が来るのを待とう。素直にそう思った。

 鈴木氏の運転する乗用車が、埼玉スタジアムに到着した。助手席から降り、昼間の熱が残ったアスファルトを踏み締めた時には、さっきまでの脱力感はきれいに消えていた。

 ◇   ◇

 「あの出来事は自分にとって、すごく大きかったです。もともと、啓太さんから引き継いだ背番号13をつけている以上、苦しい状況から簡単に逃げ出すわけにはいかないと思っていました。その背番号をつけていた先輩が急に現れて、大事な話をしてくれた。オレは運がいいと思うんです」

 高木はそう振り返る。もともと、ペトロビッチ監督の評価は高い。ほどなく「時」は来た。

 FW興梠がリオ五輪出場のため、チームを離脱。代わりに高木が前線の一角で先発起用され始めた。

 司令塔のMF柏木から「トシはパスを受ける動きに工夫がない。守備の頑張りもぜんぜん足りない」と叱られたこともあった。しかしそれを素直に受け止め、プレーを改善すると、完全に定位置を確保した。

 興梠の帰国後も、先発出場は続いた。GK西川、DF槙野、そして柏木が日本代表で不在だったルヴァン杯準々決勝神戸戦で、ゴールラッシュがスタート。主力3人の穴を感じさせない活躍で、浦和を頂点に導いた。

 リーグ戦でも高木の先発定着を機に、チームはグッと調子を上げた。第2ステージ優勝に王手をかけ、年間勝ち点でも首位を走る。

 前線の選手層が格段に厚くなった浦和は、シーズン終盤に息切れして失速する、例年のパターンを脱しつつある。悲願の年間王者に向けて加速するチームの原動力は、背番号13のアタッカーだ。

 ◇   ◇

 たまたま、と鈴木氏は言った。

 運がいい、と高木も言った。

 しかし、果たして本当にそうなのだろうか。

 鈴木氏にその日のことを聞いてみた。すると「へえ、トシはそんなことを言ってくれているんですね」と照れたように笑った。

 「まあ、オレも去年まで選手でしたから、つらさは分かるじゃないですか。誰にも見てもらえていないんじゃないかと思うこともある。だから『オレはお前を見ているよ』というのを伝えたいと思ったんです。そして、今が伝えるべき時だとも思った」

 あの日、鈴木氏がクラブハウスに愛車を走らせたのは、偶然ではなかった。

 単に背番号13を譲っただけではない。タイトルを取るために必要不可欠な戦力という“遺産”を、鈴木啓太がクラブに残した。【塩畑大輔】