プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月20日付紙面を振り返ります。2000年の1面(東京版)は劇的なVゴール勝ちでJ1復帰を決めた浦和でした。

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<J2:浦和2-1鳥栖>◇最終節◇2000年11月19日◇駒場

 長かった。苦しかった。屈辱のシーズンが、やっと終わった。浦和が劇的Vゴール勝ちで、J1復帰を決めた。勝てば昇格の決まる最終戦、先制しながらも後半7分に追いつかれ、同19分にはDF室井市衛(26)が退場処分を受けた。10対11となりながらも粘り強く猛攻を仕掛けた延長前半5分、MF土橋正樹(28)の強烈なミドルシュートが決まり、2-1で2位に滑り込んだ。358日ぶりのJ1返り咲き。昨年J2降格を決めたVゴールが、今年は昇格を運んできた。

 苦戦が続いた1年の締めくくりは、土橋の強烈なミドルだった。1-1で迎えた延長前半5分、阿部の直接FKがこぼれた。バウンドしたボールに土橋は迷いなく動いた。左45度からワントラップして左足を跳ね上げた。鳥栖GK高崎の前をクロスするような軌道を描いたボールが、右のサイドネットへ。赤く染まった駒場スタジアムに白い紙吹雪が舞い、無数の応援旗が激しく揺れた。

 苦しみ続けた95分間だった。先制点を奪いながら簡単には勝てなかった。後半7分にDF西野とGK西部が交錯する連係ミスから失点した。同19分には突破されたピクンをカバーしようとした室井がレッドカードで退場。直後の鳥栖ルシアノの逆転のPKがポストを直撃しなければ、J1復帰も夢と消えていた。開幕8連勝も、3巡目(6勝2敗2分け)4巡目(7勝3敗)と失速した今季を象徴するような展開だった。

 J2は甘くなかった。今季、約28億円の経営規模を維持し、移籍による主力の流出を防いだ。約11億円の人件費をかけた戦力は間違いなくJ1クラス。だが、年間40試合を正攻法でねじ伏せるには無理があった。優勝した札幌は守備重視が奏功したが、浦和は「横綱相撲」に挑んで失敗した。初めて連敗を喫した6月から歯車が狂い始めていた。小休止のないJ2で、軌道修正は容易ではなかった。

 斉藤監督が辞意を漏らした新潟戦(10月1日)の前後は空中分解寸前だった。選手は週1回自主的にミーティングを開いたが、各自が言いたい放題で、まとまりを欠いた。副将の石井は「イライラして言い合いになったり、練習でもうまくいかなかったり、内乱もありました」と打ち明ける。

 エース福田は故障のためサテライト暮らし。昨年の主将土田はコーチ兼任。小野は度重なる故障と日本代表への選出で、40試合中24試合しか出場できず「いろいろなことがあったので長かった。主将として何もできなかった」と悔しがった。

 窮地を救ったのは、6年ぶりに現場復帰した横山総監督だった。選手の生活改善のため独身寮に寝泊まりした。ベテランにも遠慮なく「ばか野郎」と怒鳴って雰囲気を引き締めた。「肉体と精神を勝つという方向に向けろ」とプロボクシングWBA世界ライト級戦、畑山対坂本のテレビ観戦も命じた。練習に遅刻した岡野を3試合連続してベンチから外した。「横山さんが方向性を打ち出してくれた」(石井)。取締役GMからの辞任を決意しながら「1年で復帰することで責任を果たしたい」と続投した57歳が、くすぶる火種を消した。

 「オレの命は初めから7試合。来年は新しいサッカーで戦います。サッカーのイロハからやり直さないといけないね」と話した横山総監督は、穏やかな表情に戻っていた。石井は「J2には永遠に戻りたくないね」。延長開始から出場した岡野は「うっぷんは晴らした。見たか! このやろう、という感じ」とほえまくった。得失点差1の涙の降格から358日。J1復帰を決めた2000年11月19日は、浦和の新たな歴史の始まりだ。

※記録と表記は当時のもの