公式戦全日程を終えた新潟は12月3日まで全体練習を行い、4日からオフシーズン。片渕浩一郎監督(41)は公式戦終了後もベースアップに尽力してきた。吉田達磨前監督(42)の退任後、9月27日に監督に就任して2カ月。15位でJ1残留したシーズンを振り返るとともに、今後について語った。

 シーズンを終えても、片渕監督の気が休まることはない。22日から練習を再開。12月3日に予定されている練習試合まで、ほぼシーズン中と同じサイクルで練習をする。「試合が終わったから終了、ではないです。来季に向けての準備をするのが選手、スタッフの仕事」。15位で残留し、一区切りではない。すでに来季に向けた戦いが始まっていると意識させることも、自身の役目と捉えている。

 -この時期に練習する狙いは

 片渕監督 天皇杯4回戦の横浜戦(12日)後、21日までオフだったのですが、その間も自主トレに来る選手はたくさんいた。全体で練習できるのなら、やった方がいいです。もともと、しばらくはやろうと思っていましたからね。内容も軽いものではなく、シーズン中に近いものです。

 -公式戦を終えての心境は

 片渕監督 残留して来季もJ1で戦う権利を得たことには、正直ホッとしています。ただ、天皇杯の横浜戦(12日)で勝てなかった悔しさがあります。タイトルを狙える唯一のチャンスでしたから。

 -就任してから残留が決まるまでのリーグ戦4試合については

 片渕監督 最終節の広島戦(3日)は、名古屋の試合経過を把握しながらの戦いでした。得失点差を考えて、0-1で負けてもいいという試合になりました。その前のG大阪戦(33節)浦和戦(32節)も、どちらかというと相手に合わせた試合でした。そういう形になったことはサポーターの皆さんに申しわけないです。

 -「残留」を最低限の目標にした結果の試合だった

 片渕監督 もちろんです。やらなければならないのは、僕がやりたいことではなく、残留すること。そのための可能性の多い戦い方を選択していきました。

 -基本スタイルとして攻守にアグレッシブな「新潟らしさ」を取り戻すことができたのでは

 片渕監督 降格するかもしれない、という状況で何かを変えなければならなかった。その中で複雑なことを言っても伝わらない。シンプルに選手の良さを引き出そうと思ったんです。そうなったときに、新潟が培ってきたもの「新潟スタイル」に行き着きました。「前へ」という姿勢です。意識としてそれは徹底できました。就任初戦の磐田戦(31節)、天皇杯の横浜戦はある程度出せたと思います。

 -ストレスは感じた

 片渕監督 体に現れました。今までなかったんですけどね。就任直後からG大阪戦くらいまで、耳鳴りがしていたんです。首のあたりも痛くなって。でも、広島戦が終わると、治まっていました(笑い)。

 -目的果たし解放された

 片渕監督 ホッとしたのですが、広島戦が終わって、その夜は眠れなかったです。初めてでしたね。やはり悔しかったんです。ああいう試合をしなければならなかったことが。試合中、ホーム戦らしく点を取りにいこうという案もスタッフから出ました。でも、このままでいいのなら、このままいこうと僕が決めました。理想を求めて結果的に降格したら意味がない。リスクは少ない方がいい。苦渋の決断でした。試合後は歯がゆさと、選手に思い切り自分たちのサッカーをやらせてあげられなかったつらさが残りました。

 -J1の監督になって分かったことは

 片渕監督 決断をするのが監督の仕事だと。采配、練習はもちろん、1日の動きからすべて監督が決断してチームが動く。そこは大変だし、責任がある。僕にはまだ「これだ」というサッカー哲学があるわけではない。選手をそこに押し込められるようなものを持っていない。選手の力を発揮させるモチベーターです。J1は技術、戦術でも選手に強く要求し実行させることが必要だと思いました。

 -良い経験になったのでは

 片渕監督 そこは間違いないです。やりたくてもやれない人がたくさんいる。その中で僕はトップチームの監督の最初がJ1だった。簡単な状況ではなかったですが、貴重な時間でした。うちの選手たちは本当にいい男ばかりだなと。みんなが残留しようと必死だったし、1つになっていた。経験のない僕の言葉を真摯(しんし)に受け止めてくれた。本当に感謝しています。

 -今後について

 片渕監督 来季どうなるかは分かりませんが、僕はこのクラブが好きです。どういう形であれ、関わりたいです。来季、J1で戦っていくため、ひいては今後、クラブとして強くなるためには細部にこだわることが必要だと思います。勝利にこだわる、得点にこだわる、シュートにこだわる。その姿勢を練習から徹底して、具体化していかなければならない。トップチームだけではなく、下部組織から徹底することで、本当の「新潟スタイル」が出来上がると思っています。【聞き手・斎藤慎一郎】

 ◆片渕浩一郎(かたふち・こういちろう)1975年(昭50)4月29日生まれ、佐賀県出身。佐賀商、東海大を経て98年に鳥栖に入団。02年に新潟に移籍し、シーズン後に引退。03年に新潟ユースのコーチ、06年から11年まで監督を務めた。教え子には日本代表DF酒井高徳(25=ハンブルガーSV)ら。12年から15年に日本協会ナショナルトレセン北信越地区担当。16年に新潟のコーチに就任、9月27日に監督に昇格した。現役時代はFWで、J2通算57試合に出場して13得点。