青森山田が前橋育英(群馬)を5-0で破り、22度目の出場で青森県勢初優勝を果たした。前半23分にMF高橋壱晟(3年)が5戦連発となる先制点を決めると、ゴールラッシュで圧倒した。昨年12月に行われた高円宮杯U-18チャンピオンシップも制しており、「2冠」は史上初。就任22年目の黒田剛監督(46)による雪国のハンディをプラスに変えるチーム作りで66年度の秋田商の優勝を抜き、最北端優勝校となった。

 雪国の「オレ流」が花開いた。5-0。圧倒的な勝利を告げる笛が鳴ると選手は両腕を突き上げてほえた。MF住永翔主将(3年)は「青森山田で初めての選手権優勝。キャプテンとしてチームを支えられてうれしい」と喜んだ。

 11月、青森山田のピッチは雪に覆われ、多い時期で腰まで積もる。春まで続く自然の厳しさ。黒田監督は「サッカーがやれないことはハンディ」と受け止め、考えを変えた。「早く外でサッカーをやりたいという気持ちを爆発させる充電期間。(プロ野球の)落合さんがキャンプの時に、バットを握りたくなるまで我慢して下半身を作ると言っていたのと同じような心境」とボールを蹴れない時間を足腰強化に専念した。50人対50人の雪上サッカーを1日20セット。3点取られれば、雪が降り積もるグラウンドをかき分けて走った。

 力を蓄えた。昨年、トレーニング室とミーティングルームを備えたプレハブ小屋を設置。2年前に対戦した東福岡の選手の体に衝撃を受けた。年間を通じて戦うプレミアリーグでは体調維持が基本と考えていたが「体をでかくしないと選手権であだになる」と選手権制覇を念頭に置いた。FW鳴海も「相手を威圧できる」とベンチプレスは最高100キロ。積極的に取り組み、スタメンの平均背筋は122キロまで上昇した。

 雪が競争意識を生んだ。同校の人工芝グラウンドは1面のみ。165人いる部員で使用できるのはAチームとBチームだけ。冬場は積もった雪を手押し車のような大きなスコップでサイドラインへとかき出す。1時間に及ぶ作業はメンバー外が中心。レギュラーになれない選手はこの場所を使えるようにと奮起し、Aチームは感謝する。GK広末も「気を緩めれば下に落ちる。落ちて涙を流すやつを見てきた。身が引き締まる」と言う。

 練習環境の厳しさがチームを、選手を変える。黒田監督は「ここまでチームをつくれるということはまんざら雪がハンディとは一言では言い切れない」と笑う。雪が降り積もる本州最北端のじょっぱり戦士が日本一となった。【島根純】

 ◆青森山田 1918年(大7)に創立者の山田きみが山田裁縫教授所を開いたのが始まり。普通科、情報処理科、自動車科、調理科がある私立共学校。野球部は甲子園に春夏通算12度出場。OBはサッカー部が鹿島柴崎、東京室屋ら。卓球は福原愛、水谷隼、通信課程東京校にテニス錦織圭。所在地は青森市青葉3の13の40。花田惇校長。

 ◆高円宮杯U-18プレミアリーグ 高校生年代の最高位の大会。全国から選出されたJリーグ下部組織や高校の計20チームが東西10チームずつに分かれ、ホームアンドアウェー方式2回戦総当たりのリーグ戦を実施。東西優勝チームがチャンピオンシップを戦う。

<青森山田の主な記録>

 ◆初の「2冠」 青森山田は高円宮杯U-18プレミアリーグに続いて優勝。11年にスタートした同大会と選手権の2冠は初。同大会の前身の全日本ユースを含めると、07年度の流通経大柏以来。

 ◆決勝5点差以上勝ち 前回大会の東福岡に次いで史上11度目。首都圏開催の76年度以降は5度目で最大差は03年度の国見が筑陽学園戦で記録した6点差(6-0)。

 ◆5戦20発 1大会で20得点以上は、10年度の滝川二(6試合20得点5失点、優勝)以来6大会ぶり。戦後最多は08年度の鹿児島城西で29得点(6試合14失点、準優勝)。