難病を抱えながら日本サッカーのプロ化に尽力した元Jリーグ専務理事の木之本興三さんが15日に68歳で亡くなり、関係者から悼む声が相次いだ。

 40年来の親交があった日系ブラジル人でサッカー評論家のセルジオ越後さんは「彼が本当の仕掛け人で、日本サッカーを変革した」とJリーグ創設の功績をたたえ、若くして余命宣告まで受けた人生を「彼のサッカーへの情熱が医学に勝ったのだと思う」と話した。

 両脚を切断した後、見舞った際には「痛みがなくなって楽になったよ。早く切ればよかった」と笑ったという。「(相手が)心配しているのが分かっていて、そういう気を使える人だった」と人柄をしのんだ。

 日本サッカー協会の小倉純二最高顧問は昨年11月のパーティーで会い「元気だと思っていたのに」と声を落とした。古河電工の現役時代は兄貴分と慕われた。その後は人工透析が必要となり「当時は1回8時間もかかった。そんな状況でも、プロ化しないと韓国には追いつけないとよく話していた」と回顧した。

 J1新潟の中野幸夫社長は「J2に入った時、丁寧に指導してくれた。ありがたくて、いま思い出しても涙が出る。こわもてでも本当はやさしく、リーダーシップがあった」と惜しんだ。