プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月31日付紙面を振り返ります。1997年の1面(東京版)は、日本サッカー界のスター選手だった前園真聖(横浜フリューゲルス)のヴェルディ川崎(現東京V)移籍決定でした。

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 川崎前園が正式に誕生した。サッカー日本代表のMF前園真聖(23=横浜F)獲得を目指していた川崎の森下源基社長は30日、横浜Fの山田恒彦常務と会談を行い、移籍金3億4000万円で合意。日本人のサッカー選手として過去最高の移籍金となった。当初、両者の移籍金提示額には約2億円の差があったが、代表選手の浪人危機を回避するために歩み寄った。前園は、きょう31日に会見を行う。(金額は推定)

 森下社長と山田常務はこの日、都内で会談を行い、川崎から横浜Fに支払われる移籍金について話し合った。23日に行われた第2回交渉では横浜Fが、前園の今季年俸8000万円をもとに、Jリーグ規約に基づく満額4億5000万円を要求したのに対し、川崎は金額提示もできずに決裂。その後は連絡も取らず、静観の姿勢を貫くほど、事態は深刻だった。

 森下社長は過去2度の交渉には加わらなかったが、ついに横浜Fとのトップ会談に乗り出した。29日に電話で下交渉を行い、30日に会談。午後9時の会見直前まで妥協点の模索に費やした。「契約が完了しました。大事な選手をいい方向に移籍させることができて良かった」と、森下社長は安心した表情を見せた。山田常務も「前園君には今後も川崎と日本代表で頑張ってほしい」と話した。

 今回の交渉の焦点は、川崎がいくら出せるかだった。18日の第1回交渉では2億2500万円の提示。「移籍金上限の4億なんてとんでもない。出せる目いっぱいの額と、代表などの活躍を総合評価した」(森下社長)金額だった。横浜Fの要求との2億円以上の開きは修復不能とみられた。

 両者の歩み寄りを生んだのは、前園の代表落ちの危機だった。Jリーグ森健兒専務理事(日本協会資格委員長)は27日、移籍決定が2月以降にずれ込んだ場合「サッカー活動ができなくなる」と警告。前園の新たな所属クラブが決まらない場合、横浜Fの契約が切れる31日で日本協会の登録選手として認められなくなるため、あす2月1日からのタイ遠征に参加できない可能性があった。前園を迎え入れる加藤久監督もこの日「前園を浪人させることになったら、サッカーは日本のスポーツ界全体の笑い者になる」と話していた。

 川崎側は読売新聞社や日本テレビなど、関係親会社を訪問し、金銭的な支援を要請。横浜Fも満額からの歩み寄りを検討した。「大人たちのエゴで若手の選手生命を奪うことが、許されるだろうか」。両者の気持ちが土壇場でかみ合った。

 日本代表に合流している前園は、この日午後の練習後に移籍合意の知らせを受けた。「昨年11月に契約交渉を始めてからの2カ月間は、これまでの人生の中でも、とても長かった。これからがすべての始まり」と話した。究極の目標は海外移籍。それが実現するまで戦いは終わらない。現在は代表チームでも川崎でも、先発を確約されていない。本当の戦いが始まった。

 きょう午前の代表練習を終えた後、川崎のクラブハウスへ移動。背番号7の新ユニホームにそでを通す。「新しいサッカー人生を積み重ねていくチャンスをくださった多くの皆さまに感謝したい」。海外移籍を実現するための環境を手に入れた。感謝の気持ちを示す手段はただ一つ。日本をフランスW杯へ導くことだ。

 日本サッカー界を揺るがした前園の契約騒動だが、広告業界での前園の価値はうなぎ上りだ。騒動=スキャンダルとして、スポンサーから疎まれることも懸念されたが、実際は逆だった。昨年からCM契約しているアステル東京、日清食品、大正製薬、ナイキの4社は契約更新ばかりか、「今後も頑張って」と全面支援の姿勢を打ち出している。

さらに、移籍騒動の渦中には8社からCMの契約話が舞い込んだ。これには某コンピューターメーカーも含まれている。1月初旬からインターネットを通じて、前園が心情を吐露し、その反響の大きさを買ってのものだ。

 広告代理店の関係者は言う。「前園君には、イチローや川口君(能活=横浜M)と違ったヒーロー性があるんです」。優等生ではないが、かたくなな自己主張を持った前園が、若者にアピールするという。アステル東京の調べでは「前園さんがCMで持っている機種をください」と、高校生がPHSを買いにくるケースが増えたという。

前園は各社のCM契約の申し入れに感謝しながら、いったん断った。理由はひとつ。「しばらくはサッカーに集中しなければならないから」。

 ◆前園の契約更改交渉の経過 昨年11月19日に横浜Fと第1回交渉を行った。前園本人と弁護士が同席し、横浜F側から来季年俸推定8000万円が提示されたが、保留した。以後は弁護士による代理人交渉を行い、(1)海外からのオファーの開示(2)サッカー活動以外の肖像権の個人所有(3)個人事務所との広報窓口の分担の3点を要望。今月7日までに計6回の交渉を行ったが、合意することができず、14日付の移籍リストに掲載された。

 16日に川崎の森下社長からオファーを受け、17日に会談。18日に川崎入りを表明した。前園獲得を目指す川崎は同日に横浜Fと第1回交渉。横浜FからはJリーグ規定に基づく満額の移籍金4億5000万円を要求されたのに対し、半額の2億2500万円を提示。23日に第2回交渉を行ったが、移籍金で歩み寄れずに決裂。一時は互いに静観の姿勢を見せていた。

※記録と表記は当時のもの