2日に亡くなった元日本サッカー協会会長の岡野俊一郎さんと、長年テレビ番組でコンビを組んだフリーアナウンサーの金子勝彦氏(82)が3日、「人生の師」を悼んだ。68年から20年間、岡野さんの解説で続いた「三菱ダイヤモンドサッカー」(テレビ東京)は、当時のサッカー少年のバイブル。金子氏はサッカーを通して世界の歴史、文化を語った岡野さんの死を惜しみ、その思い出を語った。

 最後に岡野さんに会ったのは昨年3月。メキシコ五輪メンバーで闘病中の岡野さんを激励したんです。元気そうで、お酒もワインを1杯。20年東京五輪を楽しみにされていたので「一緒に(放送を)やりましょう」と約束しました。それだけに残念でなりません。

 放送終了から30年近くたつのに、今でもダイヤモンドサッカーの話をされる。うれしいですね。それだけ岡野さんが素晴らしかったということ。私は単なるサッカー番組ではなく、教養番組、旅番組だと思っていました。歴史や音楽も出てくる。サッカーからショパンですよ。岡野さんは博識で、知らないことがなかった。ついていくのがやっとで、緊張しました。

 もちろん、サッカーは詳しかった。長く海外の雑誌を購読していて、選手や戦術の知識も豊富。メキシコ五輪で銅メダルを獲得し、日本サッカーが世界に目を向けた時。いわば大航海時代だったけれど、岡野さんだけは正確な海図を持っていた。我々は、それに導かれていったんです。

 冷静な情熱家。たくさんのことを教わった「人生の師」でした。サッカーだけでなく、IOC(国際オリンピック委員会)委員としても大活躍でしたが、決して前に出ることはなかった。常に黒子として陰から支えた。放送開始前に「主役は競技者であり、競技そのもの。それを伝えるのが我々の役割」と言われました。自分が主役になることは嫌ったけれど、岡野さんが残したものこそ、日本サッカー界、スポーツ界の「レガシー」そのものです。

 ◆三菱ダイヤモンドサッカー 東京12チャンネル(現テレビ東京)で1968年4月にスタート。時間帯を変えながら20年間、計993回放送された。W杯は70年メキシコ大会を日本に初めて紹介、74年西ドイツ大会の決勝を初めて衛星生中継した。イングランドやドイツなど世界最高峰リーグの試合を紹介し「ワンツー」など和製サッカー用語も生み出した。タイトルバックのオランダ代表クライフのフェイントは、当時のサッカー少年のあこがれの的だった。