カズが50歳になった。Jリーグ最大の功労者は、開幕日が誕生日と重なるというリーグからのプレゼントに応え、若々しくピッチを走り回った。日刊スポーツが初めてインタビューしたのはブラジルでプレーしていた86年、高みを目指す強い意欲とサッカーへの愛情は少しも変わらない。サッカー担当として日本リーグ時代からカズを取材してきた荻島弘一編集委員が、日本サッカーを急成長させた31年間を振り返る。

 初めてカズを取材したのは31年前、パルメイラスの一員としてキリン杯に出場した時だった。この年始めにサントスとプロ契約し、日本人として初めて州リーグの公式戦にも出場していた。19歳は次々と夢を語った。「日本代表に入ってW杯に行く」「日本のサッカーを盛んにする」。若さゆえの妄想。当時の状況ではそう聞こえた。原稿に「W杯」とは書かなかった。

 ところが、カズは次々と実現してみせた。90年に帰国すると国内デビュー戦前に代表入り。初優勝した92年アジア杯でMVPを獲得し、93年の予選でW杯まであと1歩と迫った(ドーハの悲劇)。Jリーグ開幕と合わせて訪れたサッカーブームの中心には、常にカズがいた。「カズを抜きにして、リーグの成功はなかった」と、初代チェアマンの川淵三郎氏も絶賛した。

 ブラジルのプロ経験を生かして、日本サッカーを変えた。日本代表の賞金、待遇の改善…。注目を集めるため、メディアに話題を提供した。「今日は巨人戦あるの?」の言葉に「雨で中止」と答えると、次々と面白い話を出す。新聞のスペースがあるからだ。派手なファッションや言動は批判も浴びた。それでも「子どもたちがかっこいいと思ってくれれば」と言った。

 50歳まで現役。「やめたいと思ったことはない」と言うが、31年前に「去年、夢をあきらめて帰国を考えた」と話している。帰国便のチケットを手に最後の旅行で訪れたリオの公園。片足の子やはだしの子が、丸めたボロ布を笑顔で蹴っていた。「いいボールを元気に蹴れるのに、自分は何だ。好きなサッカーを楽しくできればいいんだ」。

 手に持ったチケットを捨て、再びピッチに立った。それが、カズの原点。好きだから、楽しくサッカーを続ける。それ以外のことはない。40歳を迎えた時のインタビュー。「いつまでやるの」と聞くと「いつまで記者するの」ときた。そして「僕は死ぬまでプレーする。だから、死ぬまで取材してよ」。もちろん、その言葉には応えるつもりだ。