設立4年目を迎えるサッカーJ3が、東日本大震災から6年となる「3・11」に開幕する。震災によるチームの解散危機を乗り越えた福島ユナイテッドFCは、アウェーでYSCC横浜と対戦(ニッパツ)する。

 東日本大震災があった11年に在籍した選手は、最古参9年目の内藤を始め4人だけとなった。クラブ内では今でも当時を語り継ぐ文化が残っているという。福島市内で被災した内藤は8日、「3・11」を振り返った。

 内藤 練習が終わって、昼寝していた。新幹線沿いに住んでいたので、よく揺れる家だった。最初は新幹線かと思ったけど、今日は長いなと。これはマズいと家の外に逃げたが、縦揺れがすごくて走れなかった。

 2日後には実家の神奈川に戻り、3月末には30人弱のメンバーが大阪に集結。その場で7、8人が退団を表明した。スポンサーの撤退もあり、4月に行われた福島県内での会議ではチームの存続問題で紛糾したが、内藤は強硬に存続を主張した。

 内藤 実家に帰っても、「なんでこっちに帰って来ちゃったんだろう」って思っていた。福島のために何かをやりたかったし、両親からも「福島のためにやってこい」って言われていた。

 会議の1週間後にチームは始動したが、放射能の危険があったため雨が降ったら練習は中止。当時参加していた東北社会人1部リーグは、福島県内での試合の安全が保証されないため、全戦敵地開催が参加条件だった。そんな逆境をはねのけ、優勝を果たした。翌12年のJFL昇格につながる飛躍の1年になった。

 内藤 あの時ほど、チームがまとまったことはなかった。あの時期を乗り越えてきた仲間は今でも大事だし、乗り越えられたのは俺らだけ。支えて、支えてもらって今がある。