ある程度の覚悟を持っていた。鹿島アントラーズが優勝を果たした瞬間、10万人のイラン人サポーターが、どういう行動に出るのか、と。

同じアザディ競技場で99年に、ACLの前身のアジアクラブ選手権を制したジュビロ磐田は観客席から石や鳥の死骸、トマトなどを投げられ、ピッチ中央に固まらざるを得なかったという。

20年が経ったとはいえ、試合前日に、選手やメディアのバスを囲んで、ゴール数を示す「3」や「4」の指をかざしながらからんでくるほどの熱狂的なサポーターたち。彼らはどう出るのか-。

だが、彼らが取った行動は意外なものだった。試合が終わった瞬間、鹿島を祝福するかのように、拍手が起こった。ブーイングなどは、あったかもしれないが、かき消されるほどのものでしかない。紳士的な態度だった。

それは、試合前から感じられていた。選手紹介で、鹿島の選手がスクリーンに映し出される。日本であれば、相手チームにはブーイングを浴びせる。だが、紹介のアナウンスに合わせてむしろ、掛け声を上げていた。もちろん、ペルセポリス選手の紹介のときよりは、10分の1ほどの声量だったが。それでも、意外に映ったのは確かだった。

試合開始と同時に一斉にブブゼラが鳴り響く。記者席の隣の人の声すら全く聞こえない。だが、罵声とは違い、おくするものには感じられなかった。ブブゼラがブーイング代わりかどうかは分からないが、罵声、ブーイングのたぐいはこの試合、ほとんどなかった。

ペルセポリスのイバンコビッチ監督は試合後「ファンタスティックな雰囲気で、ファンも素晴らしかった。全ての人々にお礼を言いたい」と感謝した。鹿島の大岩剛監督も会見の最後に自ら「イランに来て、非常に素晴らしいもてなしを受けて感謝しています。ホテルでもそうですし、移動のバス、スタジアムのセキュリティーをしてくれた皆さん、メディアの皆さん、非常にリスペクトしてくれたと思うので、感謝しています」と付け加えた。

実際、地元の警察の警備は厳重だった。日本人がまとまってスタジアムに入ることを求めたため、到着してから中に入るまで、かなりの時間がかかった。だが、それは我々を守ってくれていたから。歩いて記者室に向かう間、すれ違うイラン人サポーターと衝突しないよう、何人もが取り囲んでくれた。衝突など皆無だった。

試合前、記者席に向かって「3」や「4」の指をかざし「ウチらが勝つ」と息巻いていたイラン人サポーターは帰り際、サムアップポーズで「おめでとう」と語りかけてくれた。笑顔で手を振り合った。

イランという国のイメージが、少し変わった瞬間だった。【テヘラン=今村健人】