サッカー元日本代表で、ワールドカップ(W杯)4大会を経験したJ1名古屋グランパスGK楢崎正剛(42)が現役引退する。8日、クラブが発表した。

18年シーズンに登録された選手では、J1最年長、J1歴代最多出場の名手が20年間所属した名古屋で、現役生活に区切りをつける。

楢崎はクラブの公式サイトを通じて、次の通りコメントした。

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「2018シーズンをもって24年の選手生活を終えることになりました。

新しい年になり、新シーズンへ向けてスタートを切ろうとするこの時期にこのような発表になったこと、最後にゴールマウスの前でプレーする姿をお見せできず終わってしまったことを、申し訳なく思います。

横浜での4年、名古屋での20年、良いことも悪いことも全てが夢のような経験、最高のサッカー人生で後悔はありません。

2つの愛するクラブ、横浜フリューゲルスと名古屋グランパスで一緒にプレーした全ての選手、現場のスタッフ、クラブスタッフ、関係者の皆さん、また、長くプレーしてきた日本代表においてもともに闘った仲間やスタッフ、協会関係者の方々。いつも支援していただいたパートナー企業の皆さん。多くの皆さんのおかげでここまでプレーすることができました。その全ての方たちから刺激をもらい成長させてもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

そして何より、新人だった頃から応援してくれたフリューゲルスサポーター、99年に移籍してきた不器用で若かった僕を受け入れ、信頼して、愛してくれた名古屋グランパスのサポーターの皆さんにはいくら感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

これからはプレーヤーとしてではなく、違った形でクラブや日本のサッカーの発展のために力を尽くせていけたらと思っています。

24年間多くのご声援をいただき本当にありがとうございました。」(原文のまま)

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奈良育英高から95年に横浜フリューゲルスに加入。1年目から正GKとして出場機会を得て、98年度に消滅が決まったクラブ最後の試合、天皇杯決勝で日本一となる。

翌99年に名古屋に移籍。その後は、名古屋に20年も在籍。長く主将を務めた。10年にはストイコビッチ監督のもと、悲願のリーグ制覇を達成しGK初のJリーグMVPに輝く。J1通算631試合出場は、歴代最多。

日本代表には96年に初選出され、98年の国際親善試合オーストラリア戦(アデレード)で国際Aマッチ初出場。その後、長きにわたり川口能活と激しい正GK争いを繰り広げた。W杯は日本が初出場した98年フランス大会から、02年日韓大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会と4大会連続で選出される。日韓大会では正GKとして、決勝トーナメント進出に貢献した。

偉業ともいえるW杯4大会連続出場は、日本では川口と2人だけ。国際Aマッチ通算77試合出場。00年シドニーオリンピック(五輪)にも年齢制限外のオーバーエージ枠で出場した。

昨年11月に先に引退を決めた川口の後を追うように、そして、この日午前に引退を正式発表した盟友の中沢佑二と、くしくも同じタイミングで、24年という長い現役生活に区切りをつけた。

そのプレーだけでなく、圧倒的な存在感で、すべての面で、後輩たちに多大な影響を与えてきた。特に名古屋でともにプレーした川島永嗣、本田圭佑や吉田麻也は楢崎から多くを学び、その後、日本を背負う存在へと成長を遂げた。3人とも、日本代表の国際Aマッチ出場試合で、楢崎を上回る数を重ねている。

引退会見は、近日中に名古屋で行われる見込み。今後は未定。引退の理由について、楢崎は親しい関係者に「やり切った」と報告しているようだ。

現役最後のシーズンとなった18年に公式戦で1度も起用されなかったこともあり、最後にピッチから長い間支えてもらったサポーターにあいさつできなかったことをずっと気に掛けているという。

口数が多い方ではなく、背中で語るタイプの職人肌だったが、日本サッカー界に長く貢献し続けた、偉大な守護神。その功績が色あせることはない。