川崎フロンターレは21日、今季限りで現役を退く元日本代表MF中村憲剛(40)の引退セレモニーを本拠地の川崎・等々力陸上競技場で開いた。

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引退セレモニーを主導した川崎Fの天野春果氏(49)は「大切にしたのは、お金で解決して派手に見せるのでなく、中村憲剛愛にあふれた人で固めることだった」と話す。

J2やJ3は前日にシーズンを終えたばかりだが、集まったクラブOBは、東京V・FW大久保や新潟FW鄭大世ら36人。この日午前に解散式を行ったクラブも多く、「ありえないくらいの数」だ。天野氏は10年前から、セレモニー用の写真を保存したりアイデアを書き留めたりと、この日のために構想を練ってきた。引退発表から約1カ月半と準備期間が短く、実現できたのは構想の7割というが、「憲剛は『やりすぎだよ』って言うんじゃないかな」と喜ぶ中村を想像していた。

◆中村憲剛(なかむら・けんご)1980年(昭55)10月31日、東京都小平市生まれ。久留米高(現・東久留米総合高)から中大を経て、03年に川崎F入り。Jリーグベストイレブン受賞8度。06年に日本代表に初選出され、10年W杯南アフリカ大会に日本代表として出場した。国際Aマッチ通算68試合6得点。175センチ、66キロ。家族は夫人と1男2女。好きな言葉は「感謝感激感動」。血液型O。

▽関塚隆元監督「04年に監督に就任して、キャンプで非常に光った選手が憲剛。猫背でO脚できゃしゃで、1シーズンもつのかと思ったが、技術、判断力を持ち合わせた選手だった。ボランチを一緒にトライしていこうと始めて、吸収力理解力をもってぐんぐん成長して、それとともにチームは強くなった。川崎市、フロンターレ、日本サッカーを進めて欲しい」

▽川崎F・FW小林 2017年に初めて優勝した時、一緒に抱き合って喜び合えた。この先、あれを超える感動は絶対にない。憲剛さんがいなかったら、今の僕はないと断言できるくらい、憲剛さんの存在は大きかった。

▽東京V・FW大久保「自分も引退かなと考えたところで、憲剛さんから引退の報告をもらい、とても寂しくて、心に穴があいた気持ちでした。13年に移籍してからはサッカーが本当に楽しくて、憲剛さんからのパスは大きな宝。「サッカーをやめたら歌手デビューしようか、まずは路上ライブでスタートしてやりたいね」と話したのを覚えています。デビュー曲の歌詞を考えていてください。自分はあと少し現役でやりたいと思っています。これからもともにJや日本サッカーを盛り上げましょう」

▽中大・佐藤健監督「万が一フロンターレ以外のチームを推薦していたら、どうなっていたんだろうと思う。18年でこんなに飛躍するとは。大変なこともあったと思うが、こんなに愛され、励まされ、リーグ優勝を経験する選手になるとは、正直考えていなかった。これからの憲剛の人生が楽しみでしょうがない。憲剛がベンチに立っている姿を期待しながら応援したい」

▽新潟FW鄭大世「どのクラブに行っても、初めましてのあいさつの次に「中村憲剛やばかったですか?」と聞かれる偉大な選手。4年半一緒にしのぎを削って誇りに思う。いろんなオファーもあったと思うけど、全ての力をフロンターレに注いだダイヤモンドのような硬い意思を本当に尊敬する。サッカー不毛の地と言われた川崎で、まばらな観客から、J最強と言われるところまで押し上げて辞めるのがかっこいい。映画になると思う。けちのつけようのない、一点の曇りもないあっぱれな幕引きに、おめでとうと伝えたい」