来季G大阪監督で指揮を執る大分片野坂知宏監督(50)は監督としての天皇杯初優勝はかなわなかった。

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だが、人情味あふれる熱血サッカーで一時代を築いた。16年から大分監督に就任するにあたり、G大阪にヘッドコーチで残る選択肢もあった。だが、現役最後のクラブで、引退後もS級ライセンス取得など手厚くサポートしてくれた愛着のある古巣のオファー。悩んだ末に「恩返しで、監督としてどれだけ大分の思いに応えられるか、挑戦する思いだった」と、おとこ気で受諾した。

就任1年目から、榎社長に「1年でJ2に上げ、同時に若手も育てて欲しい」と、いきなり高いミッションを課されたがJ3優勝で応えた。西山GMが「実直で本気で指導し悩み喜び悔しがる。人間味があった」という情熱で引っ張った。

G大阪や広島のコーチとして師事した西野朗(66)、長谷川健太(56)、森保一(53)、ペトロビッチ(64)という名将から学んだノウハウを注いだ。「マネジメントは森保さん、3-4-3がベースのサッカーはミシャさん(ペトロビッチ)に近い。ピッチ内外の選手を見る目は西野さん。選手へのアプローチや勝ちにつなげるメリハリは長谷川さん。4人の良いところを取り入れた」と言い、独自カラーには「人間味のある所かな」と、自身の豊かな感受性を掲げる。

18年にはJ2で2位に入って、J1に昇格した。

榎社長が「会社の経営者に聞かせたいことを言ったりする。例えば『走りながら考え、その瞬間、瞬間に判断することが大事。考えて走ったら遅い』とか。サッカーの話なんですけど、どこでも通じるなと思った」と、感心させられたポリシーを持つ。自宅に帰っても、食事中に海外サッカーを見ながらヒントを探す。広島に家族を残して6年間の単身赴任を続け「1日があっという間に終わる」というほどのサッカー漬けで走り続けた。

座右の銘は「実ほど頭を垂れる稲穂かな」で、常に謙虚な姿で感謝を忘れない。「不撓(ふとう)不屈」が校訓の鹿児島実では「きつくてしんどかったが、乗り越えられたからこそ、どういう状況でもメンタル的、体的な強さにつながっている」と言い、忍耐強さが養われた原点だ。

試合中は声がかれるほどの大声で指示を出し、身ぶり手ぶりで鼓舞する。チームにも粘り強く最後まで諦めない姿勢を植えつけた。特にJ1では毎年主力を引き抜かれ、チーム編成に苦労した。それでも、弱音を吐かず選手能力の最大値を引き出す手腕で最善を尽くしてきた。

今季はJ2に降格したが、クラブ初の天皇杯準優勝。来季からはG大阪の指揮官に就任することになる。

時には、勝利後にお笑い芸人、ワッキーの「芝刈り機」ネタをまねるなどして盛り上げ、一体感を募らせる。今季限りで退任となるが、新天地でも経験のすべてを注ぎ期待に応える。【菊川光一】

 

◆片野坂知宏(かたのさか・ともひろ)1971年4月18日、鹿児島市生まれ。錦江湾小、和田中、鹿児島実を経て90年広島の前身マツダ入り。95年途中から柏、大分、G大阪などを経て大分で03年限りで引退。大分でスカウト、U-15コーチなど指導者キャリアをスタート。07年からG大阪、広島コーチを経て14年はG大阪ヘッドコーチ。16年から当時J3大分で監督初挑戦。現役時代はDF。J1通算212試合出場12得点。趣味は温泉めぐり。家族は夫人と1男1女。