<1995年1月16日の日刊スポーツ紙面から>

 松田直樹(17=前橋育英3年)は、将来、井原正巳(27=横浜M)を超えると評価されている高校NO・1のDFだ。中田英寿(韮崎3年)安永聡太郎(清水商3年)らと、今年の三羽ガラスとも呼ばれ、3月のU-20世界選手権(ナイジェリア)では守備のかなめになると期待されている。入団が決まった横浜Mでも「DFとしての、正確な判断力、当たりの強さ、攻撃へのセンス、すべてそろった選手」と、はっきり「ポスト井原」を意識して獲得した選手だ。「転機は、U-17の代表に選ばれたことでした」と松田は言う。

 実は、1年の冬までDFではなくFWを務めていた。相生中では1、2年と県大会に出場はしていたが、松田はベンチにいたまま、一度も出場していない。3年でようやく県大会に優勝し、全国大会へコマを進めた。しかし、あっけなく1回戦で敗退。高校に入学しても、まだ無名の存在だった。

 しかし、1年生の終わりに、国見の小嶺忠敏監督(49)が率いるU-17代表合宿に、「下っ端でもいいからと頼み込んで、無理やり」(本人)参加した。FWとして張り切っていたものの、練習を一目見た小嶺監督は、「松田、センターバックをやれ」と、指示した。182センチもの長身と、それに似合わず素早い動きを、「むしろDFで十分生かせる」と、小嶺監督が判断したからだった。

 「点を取るのが好きでサッカーをやってたようなものでしたから、初めはイヤでイヤで」と、松田は当時を振り返る。しかし、このイヤイヤ始めたDFが、松田の運命を大きく変えるきっかけになった。93年、東京で行われたU-17に出場し(8強)、プロの目にとまるようになり、さらに昨年は、U-20世界選手権の予選ともなった昨秋のアジアユースに出場した。

 松田は「世界のレベルを体験すると、さらに大きな励みが見つかる」と、3月のU-20世界選手権に意欲を見せている。この年代のホープたちに共通しているのは、常に「世界」を見据えていることだろう。