サッカー元日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)松本山雅DF松田直樹さんが4日、長野県松本市内の病院で心筋梗塞のため死去した。34歳だった。2日の練習中に急性心筋梗塞による心肺停止で倒れ、集中治療室(ICU)に運び込まれていた。容体は回復せず、家族に見守られながら息を引き取った。

 松田さんは、自分自身にプレッシャーを感じながら戦っていた。横浜で2年連続の年間優勝を達成した04年。栄光の裏で20代後半に差し掛かった自分を奮い立たそうと必死だった印象が残っている。「必要とされる選手でありたいし、どうすれば輝けるのかを常に考えている」。充血した目を見開いて話していた。考えすぎて昨夜は眠れなかった、と苦笑いを浮かべながら。

 頼もしい同僚であり、ライバルだった中沢の存在。那須や栗原ら若手の台頭。横浜の黄金期にあって「ケガでつらい思いをするたびに、現実を受け入れられるようになった。俺にしかできないことがあると思えるようになった」と自分を追い込み、新たな自分を発見する作業を繰り返していた。

 時を経てJFLの舞台でも、きっと同じように自分の役割を深く考え、取り組んでいたことだろう。どんな松田直樹を見せてくれるのか、その続きを見たかった。【04年担当・山下健二郎】