サッカー元日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)松本山雅DF松田直樹さんが4日、長野県松本市内の病院で心筋梗塞のため死去した。34歳だった。2日の練習中に急性心筋梗塞による心肺停止で倒れ、集中治療室(ICU)に運び込まれていた。容体は回復せず、家族に見守られながら息を引き取った。

 高校時代の話を聞く機会があった。日本を代表するDFとなった彼の「分岐点」。前橋育英高1年の時に参加したU-17日本代表合宿だったという。

 「センターバックをやれ」と転向を勧めたのが、当時U-17日本代表監督の小嶺忠敏氏(元国見高総監督、現長崎総合科学大教授)。中学時代、部屋にカズの写真を張るほど「バリバリのFWだったんです」。屈託なく笑いながら、節目で出会った恩師の話を続けた。「良い先生にめぐまれていたんですよ。高校の山田(耕介)監督。その山田監督が小嶺さんの教え子でね」。恩師から新しいDF像まで話は尽きなかった。「DFって守備でガチガチな感じでしょ。何でも出来るDFになりたいんです」。当時25歳。思ったことは口にする。先輩にも遠慮なし。とんがった印象を持っていたが、サッカー少年が大きくなったような素顔を垣間見せた。

 山田監督はこの日、前橋育英のユニホームに後輩のメッセージを添えて、病院に駆けつけた。まだ走り足りないはずだ。松田さんは天国で袖を通して、あの長い足で走るに違いない。【03年担当・田

 誠】