サッカー元日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)松本山雅DF松田直樹さんが4日、長野県松本市内の病院で心筋梗塞のため死去した。34歳だった。2日の練習中に急性心筋梗塞による心肺停止で倒れ、集中治療室(ICU)に運び込まれていた。容体は回復せず、家族に見守られながら息を引き取った。

 松田さんが昨年まで16年間在籍した横浜は、大きな悲しみに包まれた。練習終了約1時間後にスタッフに一報が入り、クラブハウスに残っていた選手に伝えられた。

 この日、韓国戦の日本代表メンバーに招集されたDF栗原勇蔵(27)は「わがままばっかり言う人だったけど、最後ぐらいみんなの言うことを聞いてほしかった」と、兄貴分の死に涙した。前日3日、北海道での代表候補合宿終了後に羽田空港へ飛び、そこから自ら運転する車で松本の病院に向かった。「顔を見られてよかった」。首位を走るチームは、明日6日は2位柏戦。「調子のいいマリノスに悔しがるマツさんの顔を見たかった。優勝して喜んでもらえたら」と言葉を結んだ。

 当時18歳だった松田さんが入団以来、公私で面倒を見てきたという下条チーム統括部長は、先月30日の大宮戦に観戦に来た松田さんと会っていた。それから、わずか5日後の悲報。「元気でやんちゃだった。怒る役は、いつも俺だった」。指導者など、現役引退後の人生についても相談に乗ったことがあり「選手で終わりやがった」と肩を震わせて泣いた。09年から2年の付き合いだった嘉悦社長は、松田さんとの思い出を問われると「あいつ、試合のとき、最後にロッカールームから出てきて、俺とハイタッチするんです」と号泣した。

 クラブは家族や松本山雅の合意を得て、今日5日から11日までマリノスタウン内にサポーター向けの献花台を設置することを決めた。【由本裕貴】