仙台レディースDF下小鶴綾(31)が、なでしこリーグの歴史に名を連ねる。主将としてチームを支えるセンターバックは、16日のアウェー伊賀戦で史上23人目の通算200試合出場を達成する見込み。08年に1度は現役を引退するなど、波瀾(はらん)万丈のサッカー人生で着実に数字を積み重ねてきた。

 川上直子、池田(旧姓磯崎)浩美、澤穂希…。過去200試合出場を達成したそうそうたる顔触れに、下小鶴も身震いした。「すごい名前が並んでますね(笑い)。光栄です」。不動の守備の要として、伊賀戦も先発が濃厚。選手として、大一番を迎える。

 08年、TASAKIの廃部に伴って現役を引退。「やり切った感がありました」。しかし、すぐに心が動く。「INACとジェフの開幕戦ですかね。チームメートだった甲斐とかを見たら、もう1回やりたいなって。一緒に見ていた磯さん(磯崎)からも『今やれることをやった方がいい』と」。09年5月、古巣高槻に「練習生でもいいのでお願いします」と頭を下げた。

 「尊敬する磯さんの言葉が大きかった。その時になって、やっぱりやり切っていなかったのかなって」。アテネ五輪でもセンターバックコンビを組んだ池田を慕い、TASAKI移籍を決めたほど。憧れの存在との時間は、今も財産だ。「柳田さん、新甫さんを含め、しょっちゅう怒られましたね。練習中に隠れて泣いてたこともあったし、部屋に帰って枕をぬらすこともありました。でも、あれがなかったら今はない」。当時の池田のように下の世代を束ねる立場になり「チームが悪い時には、磯さんだったらどうするやろってまず考えますよ」という。

 東京電力マリーゼが11年の東日本大震災で休部。「あの(原発)事故がなかったら、去年続けていたのかも分からない。(ある意味)今サッカーをできているのはあのことがあったからかもしれないし、仙台の人と出会うこともなかったでしょうし。複雑な気持ちです」。昨年4月、チャレンジリーグ開幕戦の大歓声が忘れられない。仙台サポーターの温かさに不安と葛藤が軽くなった気がした。

 8月にAS狭山の山郷が通算300試合出場を達成した時、祝福のメッセージを送った。「高校生の時、プリマハム(現伊賀)にいた山郷さんから点を取ったんです。でも試合は1-7くらいで負けて、自分もああいう強いチームでやりたいと思った。プロを意識した原点みたいな感じ。今があるのは山郷さんのおかげもあるので、感謝の思いを伝えました」。

 回り道もしながら、数字を積み重ねてきた。「マリーゼに入った時はマリーゼが最後、今はベガルタが最後と思ってます。順風満帆ではなかったけど、いろんなタイミング、きっかけでまた続けようと思って、今に至るのかな。その過程の200試合。達成したら、どういう気持ちになるかは分からないですね。でも、やっぱり勝っていい思い出にしたい」。選手生活の集大成となる大きな節目を謙虚に、そして純粋に楽しみにしている。【亀山泰宏】

 ◆下小鶴綾(しもこづる・あや)1982年(昭57)6月7日、京都府長岡京市生まれ。長岡九小4年の時、神足スポーツ少年団でサッカーを始める。長岡三中、西乙訓高、関大在学時に松下電器の下部組織を経て高槻に昇格。05年TASAKIへ加入。08年に1度引退。09年5月に高槻で現役復帰し、10年に東京電力マリーゼ移籍。11年の東京電力休部、仙台レディース発足に伴い現所属。04年アテネ五輪は全3試合出場。05、06年リーグベストイレブン。168センチ、56キロ。血液型A。