<第1部国立で輝いた男たち(5):国見FW平山相太>

 「国立男」の序章は、高校サッカーだった。長崎・国見高出身の東京FW平山相太(28)は、国立競技場で怪物と呼ばれた。3年連続で聖地に立ち、史上最多の7ゴールを決めた。プロ入り後も国立とは抜群の相性を誇るが、その原点は全国選手権にある。国立は通過点-。恩師・小嶺忠敏監督の教えが、今も平山の胸には刻まれる。

 こんなにも国立に愛された高校生はいただろうか。国立デビューとなった1年の準決勝・鹿児島実戦で、いきなりゴールを奪った。2年、3年と2年連続で得点王に輝き、国立で決めた数は通算7得点と、高校サッカー史上1位。国立が生み出した「怪物」と呼ばれた。190センチの巨体から繰り出すゴールは、ダイナミック。全国から勝ち上がった猛者たちを蹴散らした。

 「国立にいいイメージはある。3年生の大会前に、ワールドユース(現U-20W杯)に出ていたから、高校生との差は感じていた。勝てるかどうかは別にして、プレーに余裕はあった。けどとにかく勝たないといけないっていうプレッシャーが強かった」

 平山の感覚通り、3年時の03年度大会は準決勝・滝川二戦でハットトリックをマークした。相手DFが競りにくるハイボールを、頭2つ分飛び越えて胸トラップし、そしてシュートを決める。決勝と合わせた国立4発にヘディングはなかった。高さだけに頼ることなく、足もとの技術も大きな魅力。平山を見るために国立に人が集まった。

 だが本人が淡々としているのは、恩師の言葉が忘れられないからだ。抜てきされた1年時、国見は強烈なフィジカルを武器に日本一に輝いた。その決勝後のロッカールーム。喜びを爆発させる3年生たちがいた。小嶺監督の怒号が飛んだ。

 「ちゃらちゃらするな!

 これが人生のゴールじゃないんだ。通過点なんだからうぬぼれるな」

 日本一になってもしかられたのは、16歳の平山にとっては驚きだった。

 国立の先にも後にも、過酷な練習が国見の伝統だ。開幕の2、3週間前に「ししゃも」と呼ばれる試験がある。1キロを3分30秒のペースでインターバル走10本。これをクリアできなければ、メンバーには入れない。走るのが苦手な選手には、声をかけて励ます。ときには後ろから押して助けることもあった。

 負けたときの帰路も厳しいトレーニングが待ち受けた。2年時は決勝で涙をのむと、試合をこなしながら長崎へ。大会の疲れを残した試合は当然勝てない。「300メートルダッシュをずっと続ける。坂道があれば坂道ダッシュ。あまりにもきつくて、もうダメだって何度も思った。それが嫌だから選手権でがんばれた」。馬車馬のように走らされた3年間だった。

 プロ入り後も国立との縁は続いて、通算24得点。「国立男」と言われる。

 「選手権の国立最後は寂しい。でも時代はかわって先に進んでいる。青春をかけるから、見ている人を引きつけるんだと思う。そういう選手がたくさん出てきてくれば、国立は高校サッカーでも特別な場所であり続けると思う」

 次なる怪物誕生を期待しているようだった。【栗田成芳】

 ◆平山相太(ひらやま・そうた)1985年(昭60)6月6日、北九州市生まれ。田原小2年でサッカーを始める。国見高2、3年時に全国選手権史上初の2年連続で得点王。04年に筑波大進学。ワールドユースでは03年に8強(2得点)、05年に16強(1得点)。04年アテネ五輪出場。国際Aマッチ4試合3得点。05年8月からオランダリーグ・ヘラクレスでプレーし32試合8得点。06年9月から東京でプレーしJ1通算132試合25得点。190センチ、85キロ。