3月11日の東日本大震災から1カ月以上が経過した。山形が拠点を置く天童市も震度5弱を観測。その後は原発事故の影響で福島・南相馬市を離れた多くの人々が避難所で生活している。山形から東北を元気づけようと、山形は子供たちとのふれあいや募金活動などを通じて救いの手を差し伸べてきた。24日に再開するリーグ戦へ向け、小林伸二監督(50)が決意と思いを語った。

 「私たちは良いサッカーをして、勝利で東北の皆さんを勇気づけていけるように。それが今一番できること」。小林監督は、リーグ再開戦(対C大阪=NDスタ)への決意を表した。被災者という姿勢はなく、「山形から東北を元気にしていこう」という気持ちがにじみ出ていた。

 3月11日、午後2時46分。モンテ戦士たちはバスの中で強烈な揺れを感じた。東北道の郡山JCT付近。翌日の新潟戦(東北電ス)へ向け移動中だった。道路が波打つ光景に、ただ事ではないと思った。車中テレビに映ったのは激震のVTRに大津波の生中継。「これは…」。言葉にならなかった。

 91年、雲仙・普賢岳(長崎)が噴火した。小林監督の出身地・島原は麓。降り注ぐ火山灰、激しい土石流が母方の生家を襲った。今回の津波は人ごとではなかった。「うちも大変だった。でも今回はもっとすごい」。山形は他県よりも復旧が早かった。チームとしてやれることから行動に移した。

 募金活動、避難所で子供たちとサッカー…。そこには温かい県民の笑顔があった。イレブンは、逆に勇気をもらった。「勇気づけたい」という言葉は、復興に向かう人たちへの恩返しの意味が込められている。【湯浅知彦】