サッカー元日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)松本山雅DF松田直樹さんが4日、長野県松本市内の病院で心筋梗塞のため死去した。34歳だった。

 松田さん死去に、J2札幌のメンバーもショックを隠しきれなかった。チームは4日、札幌・宮の沢で練習を再開した。横浜で03年から8シーズンともにプレーした主将のDF河合竜二(33)は、この日午後、松田さんが入院していた長野・松本市内の病院から札幌に戻りチームに合流。悲痛な思いで約1時間半の練習をこなした。02年W杯日韓大会日本代表だったFW中山雅史(43)ら、多くの選手が悲しみにくれた。

 河合にはつらく、重い1日になってしまった。2、3日は松田さんを見舞うため松本市内に泊まり込みで見舞いに行っていた。4日午前の便で札幌へ向かったが、クラブハウスに着く直前に訃報が届いた。午後3時からは午後練習に参加したが表情は終始、険しいものだった。悲しみを振り払おうと必死で、ボールを追った。もうそれ以外、何も考えられなかった。

 チーム全員が松田さん死去の悲しみにくれた。ウオーミングアップの間は、かけ声を出す古辺フィジカルコーチ以外誰ひとり声を発する選手はなかった。約1時間半の練習後、河合は憔悴(しょうすい)しきった顔で「ショックが大きくて。今はしゃべれる状況じゃない。すみません。落ち着いたらまた話します」とだけ言った。

 横浜時代、ずっと慕ってきた兄貴分がこの世を去った。03、04年には3バックを組んでJリーグ連覇を果たした戦友でもあった。ともに喜び、涙を流してきた仲間との別れ。あまりにもショッキングな出来事に、頭が真っ白になった。それは河合だけじゃない。02年W杯日韓大会では、ともに日本代表として戦ったFW中山も目を潤ませながら「絶対元気になってくれると祈っていたのに…信じられない」と声を詰まらせた。

 DF岡山は97年から4シーズン、横浜で松田さんとプレーした。午後練習中は、まぶたを腫れ上がらせたままランニングした。「すみません。何も話せません」。前橋育英高の後輩でもあるDF岩沼は09年オフに、群馬で行われたOB会合で松田さんと食事をした。「いつも元気な先輩だったのに。OBの中でも偉大な人。僕たちの見本だった。つらい」。日本サッカーをけん引してきた名選手との別れに、札幌選手たちも悲痛な思いを抱えていた。【永野高輔】