裏切り者と呼ばれても構わない-。浦和への完全移籍が決まったJ1仙台MF関口訓充(26)が、22日、最後のメッセージを寄せた。仙台を出るという決断に至った経緯、チームと応援し続けてくれたサポーターへの思い。9年分の感謝を込めて、口を開いた。<関口のメッセージ>

 プロである以上、ステップアップや新しい刺激は必要だと思っていた。タイミング的にちょうどいい年齢にもなって、移籍を決断した。仙台にいれば、生え抜きとしてサポーターに愛されてやってこれたし、これからもそうだったと思う。でもオレはプロ。満足していたらいけないと思ったし、その中で浦和というビッグクラブがオファーをくれた。何チームかで迷ったけど、あの大観衆の前でプレーすることを決めた。

 今季の自分を振り返った時、開幕から12試合、ずっとスタメンで交代もせずに出続けた中でケガをして。そこからポジションがなくなったのは残念だったけど、その分、いろんなことを学べた。移籍について、チームで相談したのはヤナさん(柳沢)くらい。「来年も一緒にやりたいけど、最後は自分で決めて、そこに向かって頑張れ」と言ってもらって、一選手として親身に考えてくれた。(手倉森)監督とは入団からずっと一緒にやってきて、代表に行けたのも監督のおかげ。感謝しています。

 活躍すればすごく応援してもらえるし、ダメだったらブーイングを食らう。それが浦和の良さ。何より、タイトルを取ってなんぼのチーム。甘えは許されない。その中でプレーすることで自分に厳しくなれる。そういう意味では、仙台がこれからさらに大きくなっていくために、2位で周りが喜んでちゃいけないというのは終わってみて思った。

 サポーターには、本当に感謝してる。9年間、常に支えてくれた。今回の移籍を応援してくれる人もいれば、オレを裏切り者と呼ぶ人もいると思う。それは構わないし、自分にとって1つの愛情だと思って頑張らなきゃいけない。初めての移籍で仙台とやるのは楽しみでもある。4つのタイトルを争う中で、どこかで優勝争いができれば。レギュラーを取るために行くわけだし、成長してユアスタに戻ってきたい。仙台の結果は常に気にしているので、サポーターには、これからも仙台をよろしくお願いしますという思いです。

 ◆関口訓充(せきぐち・くにみつ)1985年(昭60)12月26日、東京・多摩市生まれ。帝京高から04年に当時J2の仙台入り。同年7月4日の福岡戦で初出場、同年10月16日の湘南戦で初得点を記録。10年10月8日のアルゼンチン戦で日本代表戦初出場、11年6月1日ペルー戦で同初先発。J1通算84試合5得点、J2通算190試合17得点。170センチ、64キロ。血液型O。