俊輔が、本田ばりの意気込みを見せた。横浜の新体制発表会見が19日、横浜市内で行われ、MF中村俊輔(35)が再び背番号「10」を付けることが発表された。クラブでは12年ぶりにエースナンバーを背負う。
大型スクリーンで選手名の一覧が映し出されると、会場の574人のファンからどよめきが起きた。視線は「10
中村俊輔」の文字に注がれた。この直後、ユニホーム姿でステージに登場した中村は、腹部の「10」をチラチラ見ながら、昨年12月のリーグ終了後に自らクラブに背番号変更を要求したことを明かした。
中村
新人3年目から付けた番号。今もその時と気持ちは変わらない。この年になって、またその時のプレッシャーを感じたいと思ってクラブに伝えた。
99年から4年間背負い、レッジーナでも付けた。06年ドイツW杯や10年南アフリカW杯など、日本代表でも長年背負った番号への素直な思いを語った。ACミランの日本代表MF本田も、子供の頃の憧れを交えてクラブに背番号10を要求した。前日18日、中村が「限界のさらに上に慣れていける能力がある」とセリエAでの成功に太鼓判を押した本田と同様、さらなる重圧を背負うことを決意した。
昨季はMVPに輝き、天皇杯を制したが、リーグ優勝はあと1歩で逃した。ACLが加わる過酷なプロ19年目へ、中村は「今までのマリノスの歴史を受け継いで上位に食い込みたい」。今年もひと味誓った中村俊輔を見せる。【由本裕貴】
◆中村の背番号
プロ2年目までは25だったが、99年から10を与えられた。02年夏からのセリエAレッジーナでも10を付け、05年からセルティック(スコットランド)での4年間は再び25。09年のエスパニョール(スペイン)では7を付け、横浜に復帰した10年から昨季までは25だった。
◆横浜の背番号10
日産自動車時代からJ開幕にかけて、MF木村和司が付けた。背番号固定制となった97年から2年間はボリビア代表バルディビエソで、99年から中村。中村のレッジーナ移籍後は03年まで空き番号で、04年は遠藤彰弘、05年から6年間は山瀬功治(現京都)、11年から2年間は小野裕二(現スタンダール)が付けた。
◆世界の背番号10
攻撃的エースや、テクニックが優れたファンタジスタが背負う傾向がある。「王様」ペレ、マラドーナ、ジダン、トッティ、デルピエロ、リバウド、ルーニー、メッシらが各国代表で付けてきた。日本代表ではラモス瑠偉、名波、中山、現在は香川が背負う。