<J1:徳島0-0G大阪>◇最終節◇6日◇鳴門大塚

 G大阪が史上最大の大逆転劇で、9年ぶり2度目のリーグ制覇を達成した。運命の最終節は、最下位徳島に敵地で引き分け。同じ勝ち点62で優勝を争った浦和、2差で迫る鹿島がともに敗れたため05年以来の頂点に立った。

 王者に与えられる銀皿を掲げたMF遠藤保仁(34)の表情は誇らしげだった。「仲間と喜び合えてうれしかった。でもこれだけじゃなく毎年、必ず日本一のタイトルを取れるチームにしていきたい」。13日の天皇杯決勝へ「次も取って今年を締めくくりたい」と3冠をにらんだ。

 苦しいドローだった。最後はボールを回して勝ち点1を演出した。「僕はキャプテンという肩書があっただけ。みんなに助けられた。中断明けからは守備も安定し、点も取れるようになった。我慢すべきところは我慢できるチームになった」。

 優勝をささげたい人がいた。09年12月22日にメーンスポンサー、パナソニック松下正幸副会長(G大阪取締役)の妻昌子(よしこ)さんが56歳の若さで急逝した。京都から21歳で移籍した01年から、本当の息子のようにかわいがってくれた恩人の告別式で遠藤は泣いた。この日、試合会場へは松下氏の家族が激励に訪れた。前日まで昌子さんの祭壇に飾られていたビールを、優勝後の祝勝会で飲んでほしいと申し出があった。あの涙からちょうど5年がたち、Jリーグ王者になって恩返しができた。

 日本代表歴代1位148試合を誇る鉄人は試練を乗り越えた。年齢制限外での出場が確実だった08年北京五輪直前、ウイルス性感染症で兵庫県内の病院に入院。五輪出場をあきらめた。この日、田中寿一チームドクターは「あの病気は今でも原因不明。本当によく乗り越えた」。今季も全34試合に出場、途中交代はわずか2試合の鉄人ぶりだった。

 今年でG大阪在籍は丸14年となった。11年にはセリエAジェノアから移籍の打診を受けた。J2に降格した12年もクラブ残留を即答した。愛するG大阪とは来季以降も複数年契約を結ぶことが決まった。来年1月で35歳となるベテランの「ガンバで優勝したい」という思いは、この先もずっと続いていく。【横田和幸】