東京の日本代表FW武藤嘉紀(22)が、今夏からブンデスリーガ1部マインツに移籍する。3月に届いたプレミアリーグ名門チェルシーのオファーから武藤の移籍話はスタートした。チェルシーへの断りと、マインツ移籍決断の裏には、一体何があったのか。【取材・構成=栗田成芳】

 上越新幹線に乗った武藤は、窓越しに手を振った。4月29日、アウェー新潟戦を終えた帰り午後8時ごろ。大宮駅で降りたチームメートたちと別れ、終点の東京駅まで乗り続けた。東京の立石敬之GM、石井豊強化部長と一緒に向かった先は都内のホテル。待ち受けたのは、ブンデスリーガ1部レーバークーゼンのドイツ人スカウト2人だった。

 ドイツから日帰りで駆けつけた。羽田空港に早朝到着し、午後2時開始の新潟戦を視察。サポーターたちに紛れ、報道関係者がいないスタンドに座った。その試合、武藤は決していいパフォーマンスではなかった。それでも「必要としている。ぜひ来てもらえないか」。その言葉以上に、日が変わった深夜に再びドイツへ戻るわずか18時間の滞在で来日した熱意が、心に響いた。

 レーバークーゼンは、上位争いを演じていた。今季4位で終え欧州チャンピオンズリーグ予備戦から出場。「すごくいいクラブ。移籍すれば世界トップの戦いがいきなりできる」。大きく揺れ動いた。交渉の最後、念を押された。「我々が獲得に動いていることは、マインツサイドに絶対に言わないでくれ」。翌30日に交渉予定だったライバルとの情報戦を演じる緊張感が、ずっしりと伝わってきた。

 4月中旬までチェルシー入りに傾きかけていた心が、ドイツクラブによって「半々になった」。マインツには強化責任者のハイデル氏が自ら極秘来日する誠意を見せられた。「即戦力として考えている」。同時にシュミット監督からのメッセージも添えられて武藤の必要性を訴えられた。その口説き文句に、心がさらに揺れた。

 レーバークーゼンは定位置争いも激しい。前線にはドイツ代表MFベララビに韓国代表FWソン・フンミン。それぞれ2桁ゴールを決めていた。主力2人がいずれ放出する可能性も示唆されたが「実際どうなるか分からない。自分は試合に出たい。一番必要としてくれているところに行きたかった」。武藤の心をつかんだのはマインツ。そこで2年プレーした日本代表FW岡崎に相談し「攻撃スタイルが合っていると思う」と言われことも大きかった。

 評価している相手と対面する上で、どこまで本当のことを言っているのか見極めることが、真意を知るには、まず必要になってくる。そういう意味で、武藤は22歳と思えぬ冷静な決断を下した。3月の時点でチェルシーのオファーに浮かれてサインをしていたら、レーバークーゼンを選んでいたら、どんな未来が待っていたのか? 分岐点はいくつもあった。だが、武藤は自分を信じて選んだ道を突き進む。「自分の決断が間違っていなかったことを証明したい」。今までもそうだったようにこれからも、新たな戦いに挑む中で、振り返る必要は何一つない。

 ◆マインツ 1905年、ドイツ・ラインラント-プファルツ州に創設。現ドルトムントのクロップ監督のもと、04年にブンデスリーガ1部に昇格。後に2部に降格したが、09年に再び1部へ昇格。10-11年は史上最高の5位となり、欧州リーグ出場権を獲得。今季は11位に終わった。本拠地コファス・アリーナは収容約3万4000人。マルティン・シュミット監督。