サッカーの元オランダ代表の伝説的な名選手で「空飛ぶオランダ人」の異名を取ったヨハン・クライフ氏が24日、バルセロナで死去した。68歳。死因は肺がんという。現役時代に「トータル・フットボール」と呼ばれた革命的な戦術を体現し、引退後は指導者として世界最強軍団バルセロナの礎を築いた。

 クライフ氏は親族に見守られる中、24日午前1時半頃、安らかに息を引き取った。同氏の公式ホームページが「ヨハン・クライフは肺がんとの厳しい戦いの末、バルセロナで亡くなりました」と発表。「悲しみに暮れている家族を静かに見守っていただきたい」と記した。

 クライフ氏は先月13日、自身が患っている肺がんの状態について公表。「今現在の気分は前半を2-0でリードし、まだ試合は終わっていない感じ。だが勝利を確信している」と声明を発表していた。それから1カ月後。「汚い勝利」より「美しい敗北」を好むピッチ上のアーティストは、美しい寝顔で眠りについた。

 クライフ氏が現代サッカーに残した足跡はあまりに大きい。攻守分業が当然だった70年代に、全員攻撃・全員守備を掲げる「トータル・フットボール」をアヤックスとオランダ代表で体現した。ポジションにこだわらず自在に動く味方を絶妙のパスで操った。アヤックスで3季連続欧州一に輝き、当時の欧州最優秀選手にも3度選出された。

 指導者としては、バルセロナ指揮官時代が最もファンの記憶に残っている。トータル・フットボールを根付かせてスペインリーグ4連覇を達成。92年には初の欧州制覇を果たした。育成年代からの一貫指導システムを構築したのもクライフ氏だった。

 突然の訃報に世界中が悲しみに暮れた。バルセロナは公式ツイッターに「いつまでも愛している、ヨハン。安らかに眠れ」とつぶやき、エースのメッシは「また1人、伝説が去っていった」と記した。74年W杯決勝で対戦した元西ドイツ(現ドイツ)代表のベッケンバウアー氏は「ショックだ。彼は親友というだけでなく、兄弟だった」とつづり、2人が写った写真を添えてその死を悼んだ。

 人々の悲しみが大きい分だけ、これからもクライフ伝説は生き続ける。

 ◆ヨハン・クライフ 1947年4月25日、オランダのアムステルダム郊外で生まれる。17歳でアヤックスデビュー。FWからMFまでこなし、欧州チャンピオンズ杯では、70-71シーズンから3連覇。その後バルセロナでも活躍し、欧州最優秀選手は当時史上最多の3度獲得(現在はメッシの5度)。変幻自在なプレースタイルから「空飛ぶオランダ人」と呼ばれ、W杯でも74年西ドイツ大会の準優勝の立役者に。92年にバルセロナを監督として欧州王者に導いた。愛煙家だったが91年に心臓の手術を契機にたばこを断った。